馬謖
【療養日記2023 5月31日(水)】
岸田文雄のドラ息子の更迭を受け昼間のニュースバラエティで何度か耳にした言葉がある。
それは「泣いて馬謖を斬る思い」などといった「泣いて馬謖を斬る」という言葉だ。この言葉は三国志由来の故事成語で三国志を読んだ人は大抵覚えている言葉でもあると思う。これを番組のゲストコメンテーターが頻りに口にしていた。おそらく今回のケースを考えると「残念だが身内を切る」くらいの意味合いで使っているのだろうと思える。
しかしその言葉には違和感を禁じ得ない。そもそもこの言葉に登場する馬謖という武将は諸葛亮孔明の臣下にいた有能な人物で孔明からも重用された人物。ところが魏軍を相手にした街亭の戦いで孔明からの指示を無視し山の上に陣を構えると山に火をつけられて敗退、これがきっかけで孔明の蜀軍は敗れる。
孔明は馬謖を有能な人物として重用していたが戦で自分の指示に従わず敗北の原因となったことから規律を守るために馬謖を斬ったと言う。吉川英治版の三国志や三国志演義だけでなく故事成語として用いられる言葉だ。
ここでポイントなのは規律を守る為に斬らなければならなかった馬謖と言う人物は孔明に寵愛されていたことと馬謖自身が有能な人間であったこと。これと相当する事項でなければこの言葉は易々と使うべきではない。すなわち斬る孔明を岸田文雄で例えると斬られた立場の者(翔太郎)が馬謖のような人物だったのかを考えると誰でも違和感を覚えるだろう。
岸田翔太郎はそれだけの有能な人物なのか。ただ溺愛されていただけの存在じゃないだろうか。
と言うのも諸説あるが馬謖は街亭の戦いで殊勲をあげたかった。それは他でもない主人の孔明の為を思って余計なことをしてしまった。そこから「泣いて斬る」悲劇も生まれた。ところが岸田翔太郎の行いはとても父親、文雄のためにしたこととは思えない。ここに馬謖と岸田翔太郎の明らかな違いが見られる。
ドヤ顔でテレビの前で「泣いて馬謖を斬る」と口にしたコメンテーターは馬謖がどのような人物だったのか本当に知っているのか疑問に感じたし、そのドヤ顔が何よりも痛々しく見えた。
さて、以上は昨日の日記を書き終わった後にふと考えたことだ。今日のことは特に書くこともない。いつも通り午前中にウォーキングに出て3.5㎞ほど歩いてそのあとはずっと家にいた。妻はテレワークで家にいたが家にいるとよく予め録画をしていた番組を見ている。それも大体僕が嫌でたまらないタレントの出て来るくだらない番組ときてるからその間は部屋でじっとしているしかない。そして大抵その間に眠たくなって寝てしまう。
今日は妻のテレワーク拘束時間が過ぎるとわんこをよく行くドッグカフェに連れて行った。昨日うちの子記念日を迎えたエルマのためのパーティーだ。と言っても夫婦で行うものでパーティーという派手さはないが、お祝い事なので忘れることはない。我が家はわんこの誕生日とうちの子記念日は必ずお祝いをする。僕が入院していた時は流石にできなかったが。
今日したことなんてこんなくらいだ。最近は日記の内容にも悩むくらいに平々凡々とした日々を過ごしている。するとたまに思いついたことを今日のように書くことがある。それでもいいとは思う。
明日は明日で何もない1日をまた過ごすのだろう。何もないことは日記のネタには困るかも知れないが、日々平穏であることはありがたいことだ■