療養日記 2022年3月21日 『キエフの大門』
本来なら「随筆工房」で書いた方がいいのだと思う。先月からロシアがウクライナに対して侵略を始めたのは世界中の大きなニュースになっている。僕はロシアには行ったことがあるがウクライナには行ったことがない。首都の名はキエフ、あのチェルノブイリ原発があるのもウクライナ。そんな程度のことと、あとは高校の地理の時間で教わったソビエト連邦(僕が高校生の時はまだソビエト連邦が存在した。)の穀倉地帯で国の中心を流れるドニエプル川沿いにコンビナートがある。このくらい知っておかないと地理で受験はできない時代だった。
それよりも僕はこのロシアの侵略が始まってからこれを軽々しくも「戦争」とは言わないことにした。戦争は複数の国がそれぞれ互いに争っているようなイメージだからだ。今の現状を見るとロシアが一方的だ。これを世間じゃ「侵攻」と言うが、僕は敢えて侵略と言っている。「攻」の字には正当性があるが「略」の字に正当性はない。まさに今のロシアは正当性などまるでない。そして今のウクライナはこの侵略者に対して自国を守っているだけで、様子はやっぱり一方的にしか見えない。戦争反対と言ってしまうとこの侵略者に対する抵抗にも反対しているような気になる。
僕はご当地に詳しいわけでもなく、社会学者でもない。だからあれこれと言うこともできない。ただウクライナは歴史的にもソビエト連邦や帝政ロシアの中にいたからと言うだけで、ロシアの一部と考えていいわけがない。歴史的にはウクライナという場所はいろんな国に侵略されてきた歴史がある。しかし現在ではウクライナという一つの国家であり、ウクライナというアイデンティティがありそれは未来永劫侵されることは許されない。そして言語も違う。隣国のポーランド語ともロシア語とも違うウクライナ語というものがある。この違いは見ても分かる。ウクライナ語もロシア語もキリル文字を使うがウクライナ語にはアルファベットのiがあるのに対してロシア語にはない。このくらいしか違いは分からないが、これだけ知っていれば少なくともロシア語かウクライナ語かの違いは判断がつく。恐らく異言語とは言ってもそこはかなり近い言語として扱われているのであろう。民族的にも近いものだとも言うし。それがどうしてこんな事になってしまったのかが理解に苦しむ。
モデスト・ムソルグスキーの代表作に「展覧会の絵」という組曲があり、その最後の曲が「キエフの大きな門」という曲だ。バラエティ番組でも使われているので聞いたことのある人もいるかと思う。組曲の最後の曲だけあってとても壮大な曲だ。僕はウクライナというとどうしてもこの曲を思い出してしまうが、作曲したムソルグスキーというのはロシア人だ。さらにキエフには大きな門などはこの曲が作曲された19世紀には実在しない。
当時のキエフは帝政ロシアの時代なのでウクライナはロシアの一部でもあった。また僕が初めてこの「展覧会の絵」という曲を聴いたときはまだウクライナはソビエト連邦の一部でしかなかった。キエフはソ連の一都市で昔はウクライナという国だったと知ってはいたが、この曲に関してはソ連より前にウクライナというキーワードが付いてきていた。それでもムソルグスキーは自分の祖国の音楽という意識でこの曲を書いたのではないかと勝手に想像している。
展覧会の絵に登場する絵はムソルグスキーと親交のあった画家の作品がモチーフとなっていて、その絵から得たインスピレーションで作られたものだと聞いてはいるが(ちゃんと調べよう)。その中にモンゴル帝国によって破壊されたキエフの門の復元の絵があり、そこからキエフの大きな門という曲が生まれたらしい。結局絵だけのことで大きな門ができたのは20世紀も終わりのこと。となるとその門が’逆にムソルグスキーの曲のイメージをくみ取って作り上げられたモノと考えてもいいのかも知れない。どちらにしてもそんな時代背景があったのだった。
帝政ロシア時代の曲とは言え、キエフの大きな門はその壮大なメロディからウクライナの高き誇りのようなものを感じる。まさにムソルグスキーにインスピレーションを与えた画家はこのキエフの大きな門をロシアのものではなくウクライナのものとして描いたのであろう。
最近夜になるとこの「キエフの大きな門」をリピートで聴いてしまう。オーケストラバージョンも良いのだがもともとはピアノ曲らしい。そして僕はこの曲を冨田勲のアレンジで聴いたのが最初だった。この冨田版展覧会の絵も迫力があり、下手なオーケストラよりもずっと圧倒的だ。
願わくばウクライナが侵略者ロシアを撃退し、キエフに大きな凱旋門でも作られ、歴史が「キエフの大きな門」という曲でウクライナの独立を祝福する時が来ればと願っている■
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?