ホモ・ミゼラビリス
【療養日記2024 2月23日(金)☂️】
時に小糠雨に、時にしっかりと一日中雨が降り朝のウォーキングには出られなかった。
昨日有隣堂で今月の文春を買う。今月は先の芥川賞受賞作が掲載されていたので正に雨読の言葉の如く朝から読み耽っていた。
文春なんてのは(週刊文春ではなく文藝春秋)凡そ縁の無い読み物だった。母が施設暮らしで何のかんの言っても退屈らしく、
文春でも今度持ってきて。
と言うので買うようになった。
その名前を母の口から聞いてもはじめから文藝春秋の事だとはわかる。母はもとより週刊誌などには(週刊誌というよりは週刊誌が扱うような話題には)まるで関心を持たないのは知っていた。
それまでは母の好みの池波正太郎や藤沢周平の本を買っては持っていってたが、やがてどの本を持っていったのかが分からなくなり覚えてもいられなくなり困っていた。
そういった点では雑誌というのは非常にありがたい。とにかく最新刊を持っていけば間違いはない。
話はその芥川賞受賞作品。九段理江の「東京都同情塔」だ。時間設定は新国立競技場がザハ・ハディド案で通過して建てられた後から始まる。のっけからifの世界だ。
しかもこの新国立競技場がメインの物語ではない。しかし物語の背景として重要なファクターであり、それと同時にザハ・ハディドという存在が登場人物とうっすらとかぶる。
そんな「今ではない東京」から話は進み、その東京に高層刑務所が建設される前後が語られてゆく。
そこには多様性を認め、誰もが平等であり幸福も平等に感じねばならぬという現代社会のやり過ぎ風潮がさらに進み、様々な新語によってライフスタイルや人々が置かれる立ち位置などの平等化などか進み、AIの言葉が人の作り出す血の通った言葉に取って換えられる。しかしそんな平等化の世界の中でもそれを嘲笑するかのような現実が悲しいほどに横たわる。
SFという風合いではないが、パラレルワールドの要素がはじめからあり(建設された国立競技場が隈研吾の「B案」ではなくザハ・ハディドの「A案」がそのまま作られて話が進む)そこから先は時代設定が今より数年後でスタートしているのでどうしてもSFのように感じられる。
話は非常に緻密な上に複雑、しかし造りは丁寧。例えば生成AIが作る文章のそれっぽさ、伏線のわかりやすさ。一部の写実的表現が後にまた登場したとき全く違う事を指し示すなど非常にそのテクニックの巧みなところは一々驚いてはあれこれ考えさせられた。
一つ前の芥川賞受賞作、市川沙央の「ハンチバック」が非常に生々しい上にリアルな表現と妙に人間臭いのに対し(本当はこういう比較はしてはいけないことば重々承知で続けるが)今回のこの作品は生成AIの文章、超近未来設定などまるで違う要素が多い。
今日のタイトル、ホモ・ミゼラビリスというのはこの作品の中に登場する数多い造語の中の一つで「犯罪者」にとって換えられる言葉だ。「同情される人」といった意味合いがある。多様性を認め、コンプライアンスを気にしすぎこれまでの劣勢になる立場を歪な言葉で修正した世の中が奇妙な高層刑務所を都心に作り、そこでは犯罪者ではなくホモ・ミゼラビリスという名前で呼ばれ、苦痛も抑圧もなく自由気ままに暮らす。そんな社会を生み出すことに加担する者、受け入れる者、全く受け入れられない者のそれぞれの立場の目を通して描かれている。
ページにして80頁、朝から読みはじめ昼食を作るので中断。その後最後まで一気に読んだ。
雨の日はこんな過ごし方をたまにしたって罰もあたるまい■
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