お遍路ウォーキング日記(156:四十八番西林寺へ)
【2024年6月9日(土曜日) Day 156】
今日は歩数の大半を足踏みで終わらせてしまった。前々から書いていることだがこのアプリ、お遍路ウォーキングは札所に着くとそれ以降同じ日には先に進まないようになっている。
これをキャンセルさせるには札所に着いたあとまたあらためて歩数のチェックをすればいいのだが、この「すればいい」をすぐに忘れてしまう。今日打った札所四十七番八坂寺までは2,000歩も歩数がなかったのに一日歩いて帰ってきてその時に歩数のチェックを忘れ、八坂寺にいたままだった。
乱暴に計算すれば5,000歩以上は無駄にしている。これを有効にカウントしていたら次の札所に着いていた。
もともと松山市内の札所は密集して五十一番くらいまでは距離も短い。今日と同じようなポカ(ミスとは言わない)をまたやってしまいそうだ。
今日は四十七番八坂寺を打ったので八坂寺について簡単に書こうと思う。
この寺は役小角の開基で、7世紀に文武天皇の勅命を受けて時の伊予国司が堂宇を建立した。創建時に山にある八つの坂を切り開いたことから八坂寺と名づけられる。
それから百年ほど後、弘法が荒廃していたこの寺を再興させ霊場として定める。10世紀中には本尊の阿弥陀如来像が本尊として祀られる。
さらに紀州熊野権現を分霊し十二社権現を奉祀して修験道の道場となると大きく栄え、四十八の末寺に僧兵までいる大きな寺になったという。
その後天正の兵火で大きく焼け、焼けては再興、そしてまた焼けてを繰り返し衰退の一途を辿る運命となった。
平成に入ってからは明らかに墓苑で再び大きくなっているように見える。
この八坂寺については切っても切れない衛門三郎という人物がいる。遍路の創始者とも言われている人物はこの八坂寺の近くの出身だとも言われている。
この衛門三郎については日を改めて書くことにする■