続・お遍路ウォーキング日記(94:三十七番岩本寺へ 其の二)
【2025/01/14(火)Day 94】
前回の3周目「お遍路ウォーキング日記」の時は、アプリ上の札所三十六番青龍寺から三十七番岩本寺までのルートが浦ノ内湾沿いの正しいお遍路道だったのに対し、今回は横波半島を横断する歩き遍路向きではないルートに訂正されている。距離的には今回の方が短いと思うのだが、アップダウンが激しすぎて歩きの人には向かないルートだ。何よりも以前も書いたようにこの道(県道47号線)はもともと自動車専用道路だったこともあって、歩道がほとんどない。
今日はまだ青龍寺を出てから四キロほどしか進んでいない。しかも直線距離となると500メートルも離れていないかもしれない。今日の写真の場所の左手には道が伸びていて、その道を進むと「ヴィラ・サントリーニ」と言う高級宿泊施設がある。とにかく1泊ン万円もする我々庶民とはほぼ無縁の場所。
横波半島は海沿いに漁村などの集落があるが、それ以外はほとんど生活とは無縁の場所である。この宿泊施設もまさにそうで、現実世界からは徹底的に隔絶されたリゾート施設だ。
なお、ここからさらに県道47号線をまっすぐ行くと右に折れる道がありその道は明徳義塾高校とつながっている。数多くのアスリートを輩出している明徳義塾高校はこの横波半島の真ん中あたりにほぼ孤立したような形で存在している。もちろんのこと全寮制だ。
かつての横綱朝青龍がモンゴルから留学をしてきたとき、この明徳義塾高校の相撲部に在籍していた。その時に三十六番青龍寺のあの長い石段で足腰を鍛え、後に力士になったときにその寺の名前を四股名につけたと言われている。
もともと青龍寺と言う寺は弘法大師が中国に留学した先で修行を積んだお寺の名前である。それを弘法大師が四国の地に青龍寺を再現させるべく建立したものが青龍寺だとも言われている。
弘法大師の話は寺伝を読めばその通りに記されているが、朝青龍の話は青龍寺側からのコメントはない。
現在地から明徳義塾入口まではまだまだ離れてはいるが、そもそも前回まではこちらのルートを通らなかったのでどのくらいかかるものなのかはまるでわからない■