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お遍路ウォーキング日記(161:五十三番圓明寺へ)

【2024年6月14日(金曜日) Day 161】

 今日は札所五十二番太山寺と五十三番圓明寺の二ヶ寺を打った。現在地はほぼほぼ圓明寺のある和気わけ町にいる。

 今日打った札所のうち五十二番太山寺について簡単に書くつもりだ。圓明寺はまた明日以降にしたいと思う。

 太山寺には「一夜建立の御堂」という伝説がある。6世紀ごろ豊後国臼杵(現在の大分県臼杵市)の真野長者という者が商用で難波へ向かう途中、高浜沖で大嵐に遭遇する。その際に長者が観音様に祈ると山から光が差し嵐は静まったという。

 長者がその山に上るとそこには十一面観音像があったことから一宇建立したいと名乗り出て豊後に帰り、木組みを作って仲間を引き連れ再び高浜に戻ると一晩で建立したという言い伝えがある。

 この堂宇に聖武天皇の勅令で行基菩薩が十一面観音像を安置し、孝謙天皇がさらに十一面観音像を安置して伽藍を建立させたのが現在の太山寺のある場所だ。

 その半世紀以上後に弘法が真言宗に改宗している。その後も6代に渡り天皇がこの寺に十一面観音像を奉納。現在の本尊はその後のものらしいが、本堂の逗子内には孝謙天皇が納めたという像があるという。

 現在の本堂は14世紀に時の伊予国司の河野家が建立したもので国宝である。松山市内の札所の中ではおそらく最も大きくて堂々としている。

 このお寺はとにかく敷地が奥深く、山門をくぐった後納経所までが遠い。そして納経所からさらに本堂までが上り坂と言うこともあり遠く感じる。本堂直前までは車でも行ける。

 道の終わりのところに手水舎があり周囲は木々が茂ってとても暗く、夏場でも涼やかだ。その脇には石段があり本堂に続いている。最後に石段を上がって本堂前に出るがとにかく圧倒される。

 本堂前には摩尼まに車(輪蔵)が立てられていて「さあ回せ」と言わんばかりに存在感をアピールしてくる。暑い夏の昼間などは不用意に触ると結構熱くなっているのて気をつけた方が良い。

 敷地が広い分このお寺でのお詣りには時間がかかる。時間がかかるのがわかっているなら時間をかけて本堂はしっかりと見ておいた方が良いと思う。個人的な話だが季節は夏の方が、朝よりは夕方の方が印象深かった。

 その次の圓明寺までは道が一本で絶対に道に迷わない。距離は2㎞強と言ったところだ■

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