スマホ遍路日記(176:四十七番八坂寺〜四十八番西林寺)
【2023年10月6日(金曜日) Day 182】
今日は札所四十八番西林寺を打った。この先は五十一番石手寺まで札所の間の距離がなく、慌ただしく感じる。特に車やバイクで巡礼をしている人は休む間がない。
昨日書くと言っていた「衛門三郎」の話だが、この地方にはこんな伝説が残っている。
大昔この地に衛門三郎という強欲の長者がいた。この地というのは今でいうところの四十七番八坂寺の近くだ。ある時この衛門三郎の屋敷の前に見窄らしい身なりの僧が来て托鉢をしようとしたところそれを何度と追い返し、最後には持っていた鉢を叩き割ってしまった。僧はそれきり姿を消したがそれから衛門三郎の八人の子が毎年一人ずつ死んでいった。
最後の一人が亡くなった時に以前に追い払った僧が夢枕に立ち、そこで初めてそれが弘法大師と知った衛門三郎は己の行いを悔いて全てを人に譲り渡して弘法大師を追うために四国巡礼に出るも、20周しても会うことができず巡礼路を反対に回ることで最後に十二番札所焼山寺の近くで病に倒れてしまい、そこで漸く弘法大師と会い過去の過ちを詫びることができた。
弘法大師は衛門三郎の詫びを受け入れると来世は伊予河野家に生まれたいと言い残し死んでしまう。そこで大師はそこにあった石を拾い「衛門三郎再来」と書いてそれを握らせて葬った。
翌年左手を握ったままの男の子が河野家に生まれ、近くの寺で祈祷をしてもらうと手から「衛門三郎再来」と書かれた石が出てきたという。
後にこの寺は「石手寺」と改名をして四国八十八ヶ所の五十一番札所として今に至る。その石はまだ石手寺にあると言う。
一説にはこの衛門三郎が弘法大師を追い求めて巡礼をしたのが四国巡礼の始まりとも言われ、衛門三郎が逆に巡礼をして弘法大師と出会えたことから逆打ちはご利益三倍と言われるようになったとも言われている。
今も八坂寺の近くには衛門三郎の八人の子を祀る八つ塚というものが残されている。そして石手寺の縁起にも深く関わっているのでこの地方の言い伝えなのだろうとも思えるが、石は遠い焼山寺のものでそれが奉納されているというからそこに謎が残る。
この言い伝えは非常に有名で観光バスで巡礼をする人なら必ず先達様から聞くであろう話だ。この他にも四国には遍路にまつわる言い伝えが幾つか残されている■