お遍路ウォーキング日記(276:一番霊山寺へ ⑩)
【2024年10月7日(月曜日) Day 276】
現在地は阿波市土成町から隣の上板町に入る。撫養街道沿いを真っすぐやや東へと向かうお遍路道を進んでおり、写真の場所も撫養街道からさらにショートカットした道に入るところだ。
最寄りの札所は六番安楽寺、その隣の五番地蔵寺は安楽寺から見たら北東の方角にある。この「北」の部分を少しでも端折りたいようだ。ただしこの位置からだとゴールの霊山寺も北東に位置するので真東に向かうわけではない。
ルートはこの先県道139号線に入り、しばらく139号線沿いを進むと最終的には再び撫養街道に合流する。
今日は何かネタを考えて書こうと思ったが何も思い浮かばないのでお遍路そのものの事でも書こうと思う。これをテーマにするといろんな事を書かねばならないので本当に簡単に。
かつてお遍路さんはそれぞれの目的を持って仏道に帰依して巡礼をしていた。今でもそういう人は多い。それは亡き家族や親族、愛する友だちや知人の菩提を祈ったり、周囲の人達にも幸せでいてもらいたいという「人のため」だったり、自らがこうありたい、こうなってもらいたいと「自分のため」に祈りをする者もいる。それぞれの願い事を持って寺から寺へと祈って回る者が大半だと思う。そしてもう一つはもっと宗教的な意味合いを持ち各札所の本尊を一つ一つ拝んで回ることを目的としている人もいる。こういった仏教と「祈ること」がそもそもの巡礼の目的だと思う。
ところがお寺にお詣りを続け、寺伝や縁起などを知るにつれ耳にすることとなるキーワードがある。それが「神仏分離」「神仏習合」の二つの言葉で、かつての日本はもっと仏教と神道の境界が曖昧で、それを明治時代に法律を以て強制的に引き離した事実を知る。これが「神仏分離」である。するとどうして札所の近く、場合によっては札所の中に神社があるのだろうという疑問が晴れる。それは
元々は神社とお寺が一つだったんだ。
ということだ。この寺と神社が一緒だったということこそが「神仏習合」だ。
これを知ると歴史的に見ると必ずしも昔のお遍路さんのすべてが仏道に邁進していたわけでもなさそうだ。そこには宗教よりも全面に「祈る」事があったような気がしてならない。
世界的な巡礼路は幾つかあるが、日本の四国八十八ヶ所巡礼は世界唯一の循環型巡礼路といわれていて、一巡するともう一度やりやすくできている。その他にどこからどの順番で始めてもよい。四国の方はよくドライブで巡礼すると聞くが、そのスタートも必ずしも札所一番や八十八番とは限らない。家から最も近い札所からスタートする人もいると聞いたことがある。
こんな風に四国八十八ヶ所巡礼は他の巡礼と違って手段の選択も多い。ところが世界の他の巡礼は基本的には歩きの一択だという。
そんなわけで四国八十八ヶ所巡礼はとても親しみやすく敷居が低い。そして始めた後から巡礼の意味や弘法大師について知ってもいいし、弘法という人物がどんな人だったのか再確認したりするのもまったく問題がない。そのくらい本来は主幹であるはずの存在、弘法が後回しになっても構わないのだ。
この巡礼の敷居が低いために誰でも気軽に始めることができて、途中でリタイヤしても気負いはしないし、準備が整えばまた再開だってできる。他の宗教の巡礼では絶対に考えられない事だと思う。
そしてここ数年は旅行主体で巡礼を始める外国人お遍路が増えた。彼らの中で弘法はどのくらいの意味合いを持つのかは興味深いが、中にはその意味もあまり良く知らずとにかく「祈る」ことを目的にやって来たと言う人達も少なくはないだろう。その証拠に札所にある絵馬や納経箱に入っているお札を見るとアラビア語やヘブライ語で書かれたものがたまに混ざっているのを見かける。
己の宗教に対して敬虔なものであれば仏教の巡礼などできるはずもないだろうから彼らにとっての四国八十八ヶ所巡礼はもはや宗教儀式という意識は低く、その代わりに祈ることが全面にあるのだと思う。
話はお遍路という言葉に戻るが、今まで書いてきたことを考えると四国八十八ヶ所巡礼は「祈ること」を主体としたものと考えられるし、実際そのために巡礼をする人はかなり多いと思う。そうだとすればお遍路さんというものの本質は「祈る人」のことを言うのかも知れない。
今から15年以上も前にNHKで遍路と四国八十八ヶ所巡礼をテーマにした「ウォーカーズ」というドラマがあった。実家の寺を継がずに東京で働くエンジニア(江口洋介)とその上司の夫婦(三浦友和・風吹ジュン)が軽い気持ちで四国巡礼を始め、巡礼中にそれぞれ重たいものを心に抱えた遍路(ベッキー・森本レオ・鷲尾真知子ほか)と知り合い、ともに巡礼をしているうちに自分の内にある重たい問題と直面する非常に重たい内容だった。
こうして客観的にお遍路さんという者を考えると自分自身もまさに同じだなと思う。最初は四国ツーリンクの一環というくらいにしか考えていなかったものがいつしか深くはまり、ライフワークにまでなってしまった。
自分がお遍路になったことで得たものは多い思う。妻はお遍路日記を書いたブログの読者だった。仏教や日本の宗教観については大分知識がついた。日常生活の中に「祈り」が頻繁に入ったこと、写経の習慣、物事の考え方など多岐にわたると思う。それらの一部は仏教からかも知れないが、そうではない物があまりにも多い。
今現在も四国では大勢のお遍路さんが巡礼をしている。彼らの一人一人も今挙げた自分と同じように様々な物事を日々考えて色々と発見したり学んだりしているのだなと思う。大凡のお遍路さんは考えながら、祈りながら次なる札所を目指しているはずだ。
お遍路というのは日々祈りながら成長し、それによって願い事を叶えていく人々なのだろう■