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シータという女の子像

【日記#11 2024/8/30(金)☂️☔️】

 テレビで「天空の城ラピュタ」を観る。実に10数年ぶりのこと。この映画は1986年には公開。なんともう38年も前の映画。それなのに今もまだ輝き続けている。

 この映画を初めて観た時はまだ10代だった。自分はいまだに当時の自分を振り返ると精神的にも子どもっぽかったと思っている。その後の詩人活動期の作風もまるで少年のようだという評価が多かった。

 あの頃この映画に登場する主人公のパズーがうらやましく思えた。空からあんなに優しくて可愛いシータという女の子が突如やって来て冒険が始まる。楽しそうだなと云う感情、そしてシータはやっぱり可愛く、いつも一緒にいられる羨ましさもあった。

 そのくらいにシータという女の子が魅力的だった。あの「天空の城ラピュタ」という映画は実は殆ど女性が出てこない。シータの他には海賊のドーラとパズーの親方の奥さんの女将さんくらいなものだ。

 名作映画には女性が少ないという説がピッタリと来る。そしてこの三人はどれも完璧にその役割をこなす。ドーラしかり、あの女将は後の「魔女の宅急便」に登場するウルスラそのものだ。忘れてはならないわき役。

 ドーラという女はなんでも宮崎監督が最もキャラクター作りに力を入れた存在だという。この存在があって初めてシータが引き立ってくる。劇中何度となく出てくるセリフの、

「ママみたいになっちゃうんだぜ。」

 がとにかくその効果を引き立たせてくれる。果たして本当にそうなるのかどうかは観る人によって変わるのだろう。シータがドーラみたいになるのを想像できると云う人もいても良いと思う。

 若い頃はこの映画を観る度に主人公パズー越しにシータに恋い焦がれそうになる感覚に陥ったものだ。あの頃、10代から20代前半の自分はいつも恋に恋い焦がれていた事を思い出す。

 ただあの頃はそれ以上に夢中になれるものがとにかくたくさんあったので日頃から好きなモノに没頭でき、それはそれで楽しかったと思う。時折ごく普通の人間らしく恋愛について考える事もあったが、この天空の城ラピュタに登場する二人がとにかく観ていて気持ちが良く、こんな風に冒険してみたいなついつい思ってしまうものだった。

 それがあの頃の自分のこの映画の楽しみでもあったが、それも歳を重ねるにつれシータのさらに奥深い人物像を見いだすようになると見方も違ってくる。

 今回は10数年ぶりにこの映画を観てやっぱりシータは運命的な存在で様々な登場人物とつながっている。簡単に書けばシータを取り巻くどたばた劇なのだなとさえ思える。そしてシータに対してはなお一層人間臭さを感じる。

 そして10数年ぶりに観て改めて知らされたこと、ドーラはいつの間にか自分より年下になっていた。それなのにあの老けようは何なのだろう。もう彼女のことを婆さんとも言いづらい歳になってしまったんだなとちょっと寂しくも感じた。

 そしてあの映画に登場した声優で既に鬼籍に入った人も目立つ。ざっと書けば、

ドーラ(初井言榮)
ムスカ(寺田農)
将軍(永井一郎)
ポムじい(常田富士男)

 これだけでも時は流れたんだなと感じるし、この他にも数人は数えられるかと思う。

 楽しい映画、久しぶりに観られてよかったと思う。ガンダムもエバンゲリオンも新海作品もすべてアニメに対するアレルギーが激しい自分でもジブリ作品はすんなりと観られるから不思議だ■


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