令和の騒乱
【療養日記2023 6月7日(水)】
noteはタイトルを見て全く知らない人の日記を見てみようと思わせるような記事の紹介が上手である。これによって全く知らない人の日記に触れる機会が多い。自分がそうなのだから自分の日記もまた多分に全く知らない人の目に付く可能性は高く、これをご覧になっている人もおそらく「令和の騒乱」なんてテーマに関心を持たれた方もいるのではないかと思う。
そのような方がいらしたらこの日記の後半から是非ともご覧いただけたらと思う。なので今日に限って「日記」と「令和の騒乱」の二つの見出しをつける。タイトルに興味を持ってお越しいただいた方はどうか「令和の騒乱」からご覧いただけたらと思う。
日記
今日は昨日までとは違って目覚めた時にそれほど寝足りないという感じはしなかった。その後はいつも通り自分で朝食を作り、朝8時からはラジオ講座で「まいにちハングル講座」と「まいにち中国語講座」を聴く。
ラジオ講座の後はウォーキングに出るが、今日はすでにこの時間ともなると日差しも強くてジメジメとしていた。幸い気温はそれほど高くはなかったのが救いだが、そんなものは歩いているうちに身体も温まって最後は大汗が止まらないくらいにまでなってしまう。
大汗かいて家に戻るとその後はしばらく横になって休む。休んでいるうちに眠たくなって寝てしまう。このところほぼ毎日そんな感じである。
昨日まではそれから一日中韓国語や中国語の予習や復習をしていたが、これが一向に身に付かず今日はそれもしなかった。その代わり昨日も書いた昔書いていた「地名考」があまりにお粗末に感じられたので読みやすいように推敲しいよいよnoteに下書きも書き始めた。今日はその作業でほとんど終わった感じもする。勉強にせよ昔の日記の推敲にせよ適当に頭を使う作業には変わらず、体が動かせない分は頭が働いているようなものだ。
夕方になると妻のテレワーク拘束時間も終わりわんこの散歩に出る。今日は夕方ともなると暑さはほとんどなく、逆に風が涼しすぎるくらいに感じられた。つい先日梅雨前線を嫌と言うほど刺激して台風2号が去っていったのに、またすぐ南の海上に台風3号が現れ、前回の台風とよく似たコースを通過してまた刺激を受けやすい梅雨前線が南下してきたというどうやったらそんな都合よく条件が揃うのだというお天気もように週末はなりそうだ。
台風も日本にばかりやってこないでもっと積極的に大陸へと進んでもらいたいものだが、個今回の3号もまた日本にやってくるらしい。
令和の騒乱
では、ここからが本題の令和の騒乱について書いてみたいと思う。これは僕が漠然と感じているだけのことでこのようなことが起こると予言をしているわけではない。
平成大合併
平成の中盤に国が地方自治体に対し近隣市町村同士の合併を推奨し、対象になった地域には支援金を支払うと言う政策を執り行った。いわゆる「平成の大合併」と言うものだ。昨日あたりからかつてのブログで書いていた記事というのはこの平成の大合併ブームの時に出来上がった奇妙の地名に焦点を当ててどうしてこんな地名ができたのかを検証する記事のことだ。そこにはいろんな経緯があり、いろんな突拍子もない名前が生まれては通り過ぎ、さまざまな理由で合併が成立して新しい地名が登場したという話を各地の合併協議会の議事録から紐解いていた。当然議事録が残されていないとどうにもならないが、いまだに議事録が読める合併協議会が多い。さすがドキュメントもネットにアーカイブされる平成の出来事だ。
この平成の大合併において多くの新市町村名が登場する。見慣れない地名がある日突然登場したという経験をこの頃(2000年代初頭)に経験したという人もいるだろう。例えば北海道には「北斗市」という街が登場する。これまで北海道の地名というと元々アイヌ語だったんじゃないのという独特な響きの地名が多かったが、北斗はどう考えてもアイヌ語とは関係なさそうだ。
東京都にはいきなり「西東京市」が出来上がり、千葉県には読み方もよくわからない「匝瑳市」や「山武市」という地名が登場、かと思いきやいつの間にか八日市場市は無くなっていたというミステリーもあった。神奈川県では突然相模原市が肥大化し政令指定都市に、最もすごいなと思うのは大分県でいつの間にかたくさんあったん市町村が悉く合併をして県内に村は姫島村の一つだけしか残らなくなった。そういえば高知県には四万十市と四万十町の二つが登場したかと思えば中村市や窪川町はいつの間にか無くなっている。などと言うような経験をされた人もいると思う。
これが平成の大合併だ。馴染みの地名は聞きなれない新しい地名になってしまったという現象が日本中で起きた。それだけではなく中には「つくばみらい市」だの「うるま市」「四国中央市」「南アルプス市」「いちき串木野市」などといった昔からこんな場所あったっけと一瞬疑問に思うような名前がいきなり登場している。
これらは先にもいったように元はいくつかの市町村が一つにまとまり行政のスリム化を図ったものだ。そしてこの市町村に対し国が補助金を出すことになったのでどこもそのお金欲しさに合併をしていった。
大合併再び
この平成の大合併。似たようなものが各時代に行われている。平成の前は昭和、昭和も30年代を中心に地方の市町村は合併を繰り返した。その時にもやはり新地名がたくさん登場し、その時にも違和感を感じるだなんだと問題になっている。明治の時代も町村合併は行われている。時代が変わるにつれ町や村は隣同士でくっついて行政サービスのスリム化、充実化を図っている。
こんな大合併が令和になってまたやってくるのではないかと思っている。日本には限界集落が年々増え、市町村として維持できない自治体が今後も増えていく。そうなると合併して自治体としての破綻を免れようとするのは必至とも思われるし、国も有効な手段として再び地方自治体に合併を促す時がいずれは来るだろう。
そうなれば平成の大合併のように支援金を求め、または自治体としての最低限の税収確保と行政サービス維持のためにも合併に活路を見出すより他ない時が遠からず来ると思っている。その予感を告げているのが大分県だ。
上の二つの図は大分県の行政区分の20世紀最後の様子と2006年(平成18年)の3月31日、平成17年度末日の行政区分の違いを表している。あれだけたくさんあった町村は現在3町1村にまで減っている。これが平成大合併の効果だ。大分県は大半の市町村がこうして合併をして現在に至っている。合併したということは国からの補助金ももらったということになる。
平成大合併は各地で同時多発的に進行していった。合併の影響をモロに受けた人もいると思うし、東京あたりに住んでいるとあまり合併とは無縁の生活を送る人も多い。今見てきたように大分県ともなると自分の住所が変わってしまったという人が相当数にのぼるのではないだろうか。
先日から推敲が必要だと書いている地名考、「あっぷる市」は名前が浮上したが実現はしなかった。しかしこのあっぷる市と同じようにあわや世の中に登場しそうになった地名候補がいくつもあり、それが登場するとご当地だけでなく日本中が大騒ぎになった。「あっぷる市」もそうだが「太平洋市」だの「れいめい市」などもそうだった。
また自分の住んでいる市町村の名前が変わりますよと知らされて抵抗を感じたなんて人もいるかもしれない。先述の西東京市や山梨の南アルプス市、徳島県美波町(元は由岐町と日和佐町)、秋田県のにかほ市(元は仁賀保町、金浦町、象潟町)、北海道の大空町(元は東藻琴村と女満別町)なども相当地元を沸かせたらしい。
こんなふうに地域が合併するということはそれだけでも騒ぎの原因になる。それは自分の住所が変わること、住んでいる町や村の名前が変わること、慣れ親しんだ場所の呼び名が変わってしまう可能性があることだけでも落ち着かなくなる人が多いからだと思われる。
平成大合併が終わってからかれこれ15年、早くに合併が終わった所だと既に20年近い時が過ぎている。それでも中には新しく制定された地名に馴染めないという人も多々いるし、昔の方が良かったという人もいる。
古くから伝わる地名にはその土地の特徴や特に問題事項が隠されていることも多く、新しい地名に変えてしまってから住民の災害に対する意識が薄らいでしまったなんてケースも多い。
具体的な例を一つだけ書くと全ての場所ではないが地名に「梅」のつく場所は土砂で埋められる、つまり土砂災害の頻発する場所かまたは元は田畑にしか使われない場所を埋め立てて使われるようになったというサインだというのを聞いたことがある。しかしそんな地名が新しく●●ヶ丘2丁目なんて呼ばれ方をしたら元の土地の特性は伝わらなくなってしまう。
平成大合併を経て地名が変わったことによる弊害が最近になって数多く報告されているという話を聞いたことがある。
こんなことを考えに入れても合併というものは避けられない部分もあるが、それによる弊害は必至だということを忘れないでおきたいものだ。合併は致し方ないとしてもそれに伴って新しい自治体の名称を決める必要はあるのだろうか、できるだけ元の地名をそのままの字で使う方が賢明だと思う事もある。ひらがな化もその必然性には疑問ばかり感じてならない。令和に入って再び市町村合併の必要性が高まった時、それは騒乱の始まる時なのかも知れない■