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お遍路ウォーキング日記(157:四十九番浄土寺へ)

【2024年6月10日(月曜日) Day 157】

 お遍路道である松山街道は重信川を越えると途端に松山市街らしくなってくる。

 今日打った札所四十八番西林寺はその重信川を越えた少し先にある静かな町寺だ。

 この重信川手前から今日は川を渡って札所を打った。川の手前の八坂寺付近にかつていたという豪農の衛門三郎の話から今日は始める。これは団体お遍路様ご一行のツアーなどでは必す先達が話すことでもある。

 この衛門三郎という人物、強欲で人からも嫌われていた。ある日彼の屋敷にみすぼらしい僧が托鉢に現れるも無碍に追い返していたが、8日目にしてついにキレて僧の持っていた鉢を箒でたたき落として割ってしまいそれ以降は僧も来なくなったという。

 それからも云うもの毎年一人ずつ衛門三郎の子が死に、8年後には全員死んでしまった。悲しみに伏せった衛門三郎の夢枕にいつかのみすぼらしい僧が立ち、そこで衛門三郎はその僧こそが弘法であることを知り、それからは私財をすべて抛って弘法のあとを追うための旅に出た。

 これが遍路の始まりだとも言われている。衛門三郎は20回も巡礼をし、どうしても弘法を見つけて詫びたい気持ちから21周目は逆打ちを始め、札所十三番の焼山寺付近で病に倒れているところで弘法と漸く会う事ができたと言う。

 弘法が衛門三郎に「何か望みはあるか」ときくと衛門三郎は「来世は河野家(伊予国の国司)に生まれたい。」と言って息を引き取る。

 弘法は道端にあった石に「衛門三郎」と書いてそれを衛門三郎の手に握らせて葬ったという。

 衛門三郎のこの弘法を追う巡礼が遍路の始まりで、逆打ち巡礼は必ず弘法と会えることもあってご利益は順打ち寄りも高いと言われる。


 次に今日打った四十八番西林寺について簡単に書こうと思う。

 この寺は今の場所から見て北寄り3キロくらいの場所に元々あったという。聖武天皇の勅令を受けた行基菩薩が寺を建立し十一面観音を納めて開基したという。

 後に弘法が今の西林寺がある場所の近くで水脈を見つけお寺も移した。

 17世紀にも大火で焼失したがその後徐々に復興を研げて現在に至る。

 この寺のすぐ近くには杖が淵公園という名水百選の公園もある。これはこの地が干魃に見舞われたとき巡錫していた弘法が水脈をみつけたものだという。弘法は全国津々浦々水脈を見つけているが、たいていは地面に杖を突き立てたら水が出てきたと言う伝説が残っている。

 朝のうちにこの寺を打つことが何度かあってその時は池の蓮の花がとてもきれいだったのでいつまでも蓮の花のイメージが強い■

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