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続・お遍路ウォーキング日記(57:二十四番最御崎寺へ 其の四)

【2024/12/04(水)Day 57】

 昨日入ったばかりの牟岐むぎ町はあっという間に通過してしまい、今日は隣の海陽町まで来ている。

 通過してしまったので牟岐町に関しては今日ぐらいしか書く機会がないが、町の中心の警察署横にはお遍路接待所があって、お茶の接待などをしてくれる。

 町はずれにあるトンネルを通過すると別世界のように町からは離れてゆく。トンネルの先にローソンがあり、今はどうかわからないがうどんが食べられた。

 かつて四国のローソンはうどんに力を入れていて、その頃はいつもここでうどんを食べていた。順打ちの時も逆打ちの時も、それこそ日和佐に宿泊する時などはわざわざここまでやって来て必ずうどんを食べた。それこそ何杯食べたかわからない。

 そんなにしてまて食べるのだからきっと美味しいうどんなのだろうと思われそうだが、ここだけの話、

ちっとも美味しくない

 夫婦で巡礼をするようになってからは「牟岐で不味いうどんを食べる」といえば牟岐の町外れにあるトンネルの先のローソンに立ち寄るという意味だった。

 そこまでして不味いうどんを食べ続けていたのには一種の験担ぎのようなものがあったのだと思う。

 牟岐というとまず真っ先に思い浮かぶのがこのローソンのうどんだった。

 そんな牟岐町もあっという間に通過し、次に入るのが海陽町である。海陽町は平成大合併の時にできた町で、かつての宍喰ししくい町、海部町、海南町の三町が対等合併してできた町だ。

 今日いる場所は大砂おおずな海岸と言う場所で、この近辺を浅川地区と呼ぶ。浅川には漁港があり、水産物を日和佐や徳島へ送っている。日和佐で食事をすると「浅川産の牡蠣」にお目にかかることがある。大振りで新鮮な牡蠣と言う印象がある。

 また大砂海岸はサーフィンができることでも有名である。徳島県屈指の美しい海岸だ。

 この先は海陽町の中心である海部の町へと向かい、海部を通過するとその先は内浦の絶景がある那佐湾を通過してかつて徳島県で最も南にあった宍喰へと向かう。

 まだまだ先は長い。次の目標は徳島と高知の県境を越えた最初の集落、甲浦かんのうらだ■


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