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お遍路ウォーキング日記(188:六十五番三角寺へ ③)
【2024年7月11日(火曜日) Day 188】
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現在地は新居浜市東部。近くには池田池がある。池田池は実際に行ったわけでもなく、この日記を始めてから知るようになった。この地点から2.5㎞程東に行くとかつての土居町(現在の四国中央市)に入る。
四国中央市は愛媛県東部にある市で平成大合併の時にできた自治体だ。元は土居町、伊予三島市、川之江市、新宮村だったものが新設合併してできたものだ。
時々感じることだが平成大合併で巨大な自治体が出来上がっても巡礼の時はそれまでの旧町名を使った方が良く感じる時がある。例えば今現在いる土居町、次に三島といった具合で自分の進み具合がよりリアルに感じられることもある。
札所六十四番前神寺を出るとまずは新居浜市に入る。ところが今は新居浜市の次は四国中央市で、かなり離れているはずの六十五番三角寺も四国中央市にある。隣町に入ったかと思ったらそれがずっと続くのは想像しただけでもしんどい。
新居浜の次は土居、そして三島とある程度区切られていれば飽きることもないだろうし、実際行けども行けども同じ名前の場所というのは疲れるものだ。
これと似たような場所は他にもある。例えば札所二十四番最御崎寺に向かう時、県境を越えて高知県に入ると最御崎寺までにあるのは東洋町と室戸市だけだ。どちらも合併してできたものだが昭和大合併の時にできたもの。どちらもずっと以前から2町村だった。これがとにかく退屈だ(個人の感想です)。
もう一つには札所五十三番圓明寺と五十四番延命寺。圓明寺を出でからも延々と松山市が続く、そしてその次はもう延命寺のある今治市だ。
これも平成大合併以前は松山市→北条市→菊間町→大西町と数段階のステップがあった。ちょっとずつ町を移動して進んでゆく楽しみというものがあったかと思う。それが失われてしまったのは少し残念にも思える。
ただ四国の道路標識では「旧◯◯町」とちゃんと合併前の自治体の名前も表記されているのはちょっと助けられている気にもなる■