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お遍路ウォーキング日記(173:五十九番伊予国分寺へ)
【2024年6月26日(水曜日) Day 173】
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今日は札所五十八番の仙遊寺を打った。仙遊寺は今治市街から少し外れた作礼山の頂上にある山寺。最近では少なくなった宿坊のある札所でしかも温泉が有名だ。また本堂の中に納経所のある寺としても四国札所の中では珍しいと思う。
今日はこの仙遊寺について簡単に書きたいと思う。
この寺は7世紀に天智天皇の勅令により伊予国太守の越智氏によって建立されたという。山号と寺号の由来が面白く、山号の作礼山はこの寺の本尊である千手観音菩薩像に由来する。天智天皇の念持仏として海から出てきた竜女がこの像を一刀三礼(一回彫る毎に三礼する)で彫ったもので、そこから山号がついたという。
仙遊寺と言う名前はこの寺で住職をしていた仙人が作礼山に40年も籠もって伽藍を整えたのにもかかわらず、ある日突然消えていなくなってしまったところから付いたものだという。
後に弘法がこの寺で修行をし、病で苦しむ人々を救うために井戸を掘って荒廃した寺を再興させた。
江戸の頃にはまた荒廃してしまうも、明治に入ってから再興を遂げる。この時の住職、宥蓮上人は後に即身成仏として入定した最後の人物として仙遊寺に供養塔がある。
その後1947年に作礼山は全て焼けて本尊と大師像だけが残り、本堂は1953年に、大師堂は1958年に再建された。
次の札所五十九番伊予国分寺へはそれほど距離も離れてはおらず、恐らくは明日にでも打てるかも知れない。山から一気に海の近くまで駆け下りるような感じである■