自然賛美の音楽家 想像の中のブライアンジョーンズ
ブライアンジョーンズが生きていたら…。
僕はブライアンジョーンズについて詳しくは知らない。ローリングストーンズ関連の書籍や映画などから得た僅かな情報のみで勝手なイメージを作っているに過ぎない。これから語ることについては、僕の想像の中においての勝手なブライアンジョーンズのであるので、熱心なブライアンジョーンズのファンの方には、実にくだらない妄想だと一笑に付されるかもしれない。しかし色々な逸話から様々な人物像が語られるブライアンジョーンズを「音楽家」として見た場合、僕の妄想はあながち間違ってもいないような気もするのである。
ブライアンの学生時代の先輩に、作家でありナチュラリストでもあるCWニコルさんがいた。熱烈なローリングストーンズフリークでもある作家山川健一さんとニコルさんとの対談を読むと、ブライアンとニコルさん、当時大変仲良しで、生意気で口達者、抜群のファッションセンスを持ち女性からもモテモテだったブライアンは当然不良生徒から狙われやすかったようで、そんなときは柔道レスリングの心得あるニコルさんがいつも守ってあげていたようだ。なんとも微笑ましい関係。ただ僕が最も興味深かったのは、その頃ブライアンが「フィンランドに行ってサーミ人と一緒に暮らしたい」という夢をニコルさんに語っていたということだ。
北欧のトナカイ遊牧民であるサーミ人の文化に、ブライアンジョーンズが何故興味を持ったのかその理由は知らない。しかし後年、モロッコの民族音楽『ジャジューカ』に魅了されたことを考えると、自然への憧憬、土俗的な文化に対しての興味をかなり持っていたことは間違いない。そしてそのことは、ミック、キースの自作曲路線に合わせられず、ブルーズやリズム&ブルーズの演奏にこだわり続けたことにも繋がっていると思うのだ。アフロ・アメリカンの文化としてのブルーズに、音楽の形式としてだけではなく、そのデモニッシュな精神性を極めることを望んでいたのではないか。
アイルランドのトラディショナルミュージックの大御所、チーフタンズがロック系のアーティストと共演したアルバム『ロングブラックヴェイル』にはローリングストーンズも参加しているが、アルバムの解説によればチーフタンズとストーンズは60年代からの付き合いで、チーフタンズのリーダー、パディモローニによれば、当時ブライアンジョーンズもアイリッシュミュージックに関心があったとのことである。ブライアンジョーンズとケルト民謡。こちらの組み合わせも充分納得させられる。ああ、もしブライアンジョーンズが生きていて、チーフタンズとのセッションが実現したらどんな楽器をプレイしたんだろうか?考えただけでゾクゾクしてしまう。
そして晩年のブライアンが購入した家が、アッシュダウンの森にある『くまのプーさん』の著者AAミルンの住んだ家だった。都会から離れ、自然豊かな環境の中、なんとか再生して新たな音楽活動への意欲を高めていたに違いないとおもう。残念ながら、モロッコにおいて『ジャジューカ』を録音したあと、すぐに亡くなってしまったが、僕の想像の中では、もし生きていれたとすれば、様々な民族音楽やワールドミュージックに触発され、天才的なその感性と演奏で僕たちを楽しませてくれているに違いない。
更にかつて親友CWニコルさんの環境保護活動にも関心を示したと思うのだ。
僕にとって、ブライアンジョーンズは、自然から得る力を表現してくれる偉大なる音楽家であってほしいのである。