わたしのおばあちゃん
わたしは、今、子どもと関わる仕事をさせていただいています。
その日々の中で、亡き祖母を思い返すことが多々あるんです。
今年は、特に。
なんでだろうと結構疑問で、、、
そこで気づいたことがあるんです。
それは、仕事で年齢的に祖母と同じくらい年が離れた方に囲まれて
仕事を一緒にすることが多かったから。
今年一年の平日は毎日一緒に仕事をさせていただきました。
日々の生活の中で、ふと思い出す懐かしい感覚があったのです。
所作一つ一つに。
どこか懐かしくって安心する心地よさがそこにありました。
それは、その方が書く字、子供とのやり取り、姿勢、言葉遣いから。
あぁ、手提げ袋を手作りで作ってもらったな。
おにぎりを握ってもらったな。
祖母が作ってくれたおにぎりは母のおにぎりとは何かが違ったんだよな。
と、子供ながらに思っていました。
とにかくおいしかったんです。
作ってくれるまでの工程がゆっくりで一つ一つが鮮明でした。
手に塩水をつけて握る俵のおにぎり。
お米が光っていて、おにぎりが光っているように見えていました。
中に梅干しが入っていたんですが、異様にすっぱかったり、
しそも一緒に入っていたな。とか。
祖母と過ごす他愛もない日々がとても懐かしくって心が温かい感じ。
一人で編み物をする後ろ姿や畑仕事をしている姿
一緒にお菓子を食べながらテレビを見ていたこと。
(旅番組やインテリアの番組、海外の特集などなど)
中学や高校の時は、塾の送り迎えもしてもらっていました。
あの時は、当たり前に思っていたことが、今になってとてつもなく申し訳なさがこみあげてきて。。。
塾が終わるまで車で待っていてくれてたんだよな。とか
なんで形が不ぞろいの野菜や果物を食べなかったんだろう。とか
私は、おばあちゃんに見守られてここまで育ったことに、
今になって、改めて気づき感謝の気持ちでいっぱいです。
祖母は、私が大学卒業する前に亡くなりました。
せめて、大学卒業したこと見てほしかったし、今の仕事を頑張っていることもしってほしかったな。と思います。今後、子供が生まれた時に会わせてあげたかったですが、亡き人は、人の心に生き続けると実感しました。
今、呪術廻戦を見ているのですが、二話でおじいちゃんの骨を納骨するシーンがあったんです。それを見て、私は、ハッとしました。祖母の納骨に立ち会っていたのに、自分の記憶から消えていたことに気づいたんです。
ここで、悟ったわけです。
私は、悲しいことやショックなことを記憶から消去している。と!
やはり、憶えているのは、与えられたことやしてもらったことで。
その想いやりや愛ってのは、いつか必ずその人の心に届く。
そして、いいことや好きな記憶はずっと生き続けるんだなと。
与えられてことでもそこに気持ちや思い、愛情がなくては何の意味もありません。想いは、その人の言葉や行動姿勢ノンバーバルで伝わる。
しかし、私は、その人が生きている間にそのことに気づけなかった。
感謝の気持ちをたくさん伝えられなかった。
だから、これからは、誰かにしてもらったことや当たり前にあること、もの、人に感謝をして、言葉にしていきたいと思ったんです。
言葉でできずとも。想いをもって。
これからも、私は、与え続ける人でありたいと思いました。
その想いは、いつかきっと届くと信じて。