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ファーストシューズと叔母

叔母が亡くなった。

叔母は数年前に倒れ、それ以来施設での生活を余儀なくされていた。施設に入ってからは、ごくまれに私の両親から近況を聞くのみだった。

叔母は私の家の近くに住んでいた。
しょっちゅう玄関先まで食べ物をおすそ分けしに来ていたことを覚えている。

叔母は今でいうキャリアウーマンだった。社長である夫(私からすると叔父)の右腕として、いつも遅くまで働いていたらしい。働きながら子どもを育て、家ではおいしい手料理をふるまう。私は叔母が怒ったところを一度も見たことがない。いつも笑顔だった。正月に一族が集まる場ではいつも台所に立ち、料理の準備や後片付けをしていた。

「あんなに無理して働いていなければ、こうはならなかったのかも」と、親族の一人が呟いていた。

私からは、ひたすら会社に、そして夫に尽くしている人に見えた。そんな叔母に対して、叔父は告別式で感謝の意を伝えていた。

1年ほど前に、私は実家から自分のファーストシューズを持ち帰っていた。息子のファーストシューズを買うにあたり、「そういえば私のファーストシューズが実家に転がっていたような……」とふと思い出したのだ。

白く柔らかな革でできた、小さな靴。まだまだ原型をとどめてきれいな形をしている。

てっきり私は母が買ってくれたものだと思っていたが、叔母の葬儀の場で母が「あのファーストシューズは叔母さんがくれたのよ」と教えてくれた。

叔母の家に娘はいなかったから、女の子である私の誕生をたいそう喜んでくれたらしい。「抱っこさせて~!」と、よく家にも遊びに来ていたらしい。子を持った今ならわかる。人の子どもにファーストシューズを選ぶということの、想いの深さが。きっと、どんな靴がいいだろうかと考え抜いて選んでくれたのだろう。

子育てに、仕事にと精を出していた一人の女性として、当時の叔母はどんなことを考えながら、どんな生活を送っていたのだろう。

これから先、私はこのファーストシューズを見るたびに叔母のことを思い出すだろう。

「働く母親」という叔母と同じ境遇になった今、考えを巡らさずにはいられない。いや、同じ境遇というにはおこがましいか。

どうか叔母が天国で、安らかに過ごしていますように。

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