老々介護Part① 父の場合
父親は2010年に他界した。
実家に両親と叔母(父の妹)と3人ぐらしで
大正生まれの父と叔母、昭和初期生まれの母の老々介護状態だった。
勤めていた頃からバイクに乗っていた父は、
80代に入っても変わらず乗っていた。
都心に住まいがあるので交通機関も充実しているし便利なはずだが
歳をとって足が不自由になると
駅まで歩いたり、改札まで降りたり上がったりとしんどいようで
病院や郊外の墓参りなどには、相変わらずバイクを使っていた。
運転は安全運転ではあったが、それもまた見ていて怖かった。
隣りをトラックやタクシーが、ガンガン抜かしていくのを見ると
【もしも、よろけて撥ねられたら、、、】
さすがに80歳になった頃、事故を起こされるのが心配で
免許を返納するよう散々話したが聞く耳を持たず。
どうしたものかと考えていたら、自分で免許を閉まった場所が解らなくなり
乗る事ができなくなり、仕方なく諦めてくれた。
バイクに乗れなくなり
暫くして母親が「お父さんが少しボケてきたようだ」と言った。
私からしたら【3人ともボケてきてんじゃん!!】と言いたかったが
母曰く「バイクを乗らなくなってから明らかにに違う。緊張感が無くなった」と感じているようだった。
勤めていた頃から仕事が終われば真っ直ぐ帰宅し
酒やタバコ、賭け事などはぜず
女性関係も多分、、、私が知る限りは無かったし
休日は自宅で副業をしていたこともあり
友人と会う時間も無かったのか、いなかったのか。。
誰から見ても、絵に描いたような真面目な人間だった。
嘱託で65歳まで務めたあとは、近所のパチンコ店に週に何度か
掃除の仕事に70歳まで通っていた。
他の時間は古い実家を自分で直したり、庭の手入れをしたり
近所を散歩したり。
外出するのは病院に通院する時と郊外の霊園に墓掃除に行く事くらいで
ほとんど外出はしなかった。
もしかしたら、母の為に叔母とふたりきりになる時間を作らないようにしていたのかもしれない。
母が言うには、バイクに乗らなくなってから
漏らしてしまったり、言動も少しおかしくなってきたようだった。
夕食後、腹ごなしの散歩に出かけ何時間も戻って来ないこともあり、
その度に会社にいる私に「110番をして!」と連絡がきた。
仕事が終わらず迎えにいけないので、ほぼ毎回パトカーで送ってもらった。
少しずつ身体も弱り、どうにかしなければと思いながら
【父の病院に付き添いたい】と、会社に言えなかった。
叔母をどうしても病院に連れていかなければならなかった時
やっとのことで休みをを取ったが
【本当に休むのか?なんで、あなたが付き添わなくてはいけないのか?
お母さんではダメなのか?夜なら来れるのか!】と
社長と役員が何度も何度も電話をしてきた。
その後、あるプロジェクトから外された。
当時も今思っても、異常な環境であったのは間違い無いが
その一件から、私は弱っていく父を見ながら老々介護と
叔母の女中のような母に【何もできず申し訳ないと、、】と
老々介護の状態は続いた。
緊急で父が通院する都内の病院に運ばれ、
さすがにもう長くなはいと分ってからは
会社も病院に通う時間を優先させてくれた。
母には毎日病院まで通い、付き添える体力は無かった。
入院した時には要介護5で、暫くして私が誰かも分からなくなった。
昏睡状態が3ヶ月近く続いた。
母が気持ちの逃げ場として入信した宗教団体の病院で
父と私は信者では無いと分ってからは
個室の部屋掃除はされなくなった。看護婦長からも冷たくあしらわれ
転院先を探したが、父の病状では受入先は見つからなかった。
他界する前日、父はそれまでほぼ昏睡状態で
私を娘ともわからずにいたが
手を握って私の言葉に返事をしてくれた。
思い出してくれて嬉しかった。
享年89歳
この病院で無ければ。。。
私がちゃんと介護を考えていたら
母の宗教にもっと早くに向きあえていたら。
父はもっと長生きできたかもしれない。
人生最大の後悔は
両親を助けられなかった生き方です。