見出し画像

美の正義

人は美しくないものを取り払おうとする。
美的感覚は人それぞれだけど共通の美というものが存在する。その型に当てはめて図ろうとする。最近はそれがやけに多く存在し、異常に固執する人がいる。私もその1人である。

少しでもその枠組みから外れているだけで必要以上に落ち込んで苦しんで、ときに自分を痛めつけることもある。そんな風にして本来の目的を失ってきているように思える。
「美しくありたい」という願いは多分誰しもに存在していて、でもそれは愛する人に愛されたいとか自分のことを愛したいとかいう理由が先に存在するからだと思う。
でも今は何かの呪縛のように、美しくいなきゃいけない、とか美しくない自分に価値はないとかいう極論がまだ水面下で浮遊している。寧ろ自分を守るために美しくいることは必要だと考えてしまっている。

外見を磨く前に内面を磨けと父から何度も言われてきた。でもその度に外見が良くないと内面とか誰も見ようとしないじゃないかと思ってしまう。毎朝化粧を塗り重ねた素の自分とはかけ離れた顔で出掛けて、何度も鏡の前で絶望して。また最近は外見を褒められることがあっても、それは作られた美だからなんだろう、この人が素を見た時同じことを思うのか?とか素直に褒め言葉を受け入れられなくなっている。
美容のことを考えて自分を磨くことは楽しいはずなのに、楽しくはないよね。

ルッキズムとかいう言葉が有名になって表立ってきたが、完全にそれに考えを占領されてしまっている。それぞれが信じる美を追求して、いろんな美を認め合える世の中になってくれればもっとみんな楽に生きられるのかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?