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句読点、について。
引用ノートにて失礼します。
コメントにすると長くなりそうだったので。
句読点の話ですね。
自分の解釈や見解などを記そうかと思います。
私も若者たちと同じ感覚です。
。は付けません。
絵文字または、顔文字で終わらせます。
スタンプなどもいい例ですよね。
または、草・www・笑・笑笑・爆笑など。
冗談で言っているよー!
きつい言い方でないのだよ、という配慮でつけるひともいるでしょう。
よく文字だけだとニュアンスが伝わりづらいから、会って話したい。
通話して確認したいなどもあるでしょう。
そもそも文字を読むということが、それだけ負担であるひとが多いと思料します。
その中で、文字以外のものがあると途端に目につきやすくなるのです。
文章のニュアンスにそぐした絵文字や顔文字も必要です。
noteでいえば、記事に合う画像ですね。
文字は正しいもの・正式なものという印象が強いです。
その印象はなぜ発生するか。
デバイスで表現される文字は一定の大きさ、規律性のあるサイズで固定されているからと思料します。
そのため、整っていて・美しい。
文章の内容を客観的に、落ち着いて、一定の気持ちでくみ取ってほしい。
冷静に目を通してほしいと、無意識に働きかける作用があるのではないかと感じるのです。
noteでも散見される、大見出し・小見出しも最たる例です。
読みやすい=まとまっている文章。
正式にリリースしたものであるという印象が尽きます。
見やすいということは、不透明性がない。
正当性が高い。
ルールを理解し、使いこなし、自分の伝えたいことを書く能力があると。
自分だけでなく、他人が見てもわかりやすくしているから。
話題に興味ないひとにも飽きさせず、楽しませようとしているから。
YOUTUBEのシークバーみたいなもので、見どころを伝えている。
ここを理解しないと、楽しめない。
伏せん回収にならないと。
読み手の視点固定をさせます。
以上のことを踏まえ、句読点を付けるひとが怒っていると感じるのは以下のことが考えられます。
①適切な絵文字や顔文字を探し出さず、手間を惜しんでいるから。
➡好意的に感じているのであれば、その手間も惜しまないのではないか。
②ここで会話は終わりであると、表明していると感じるから。
➡絵文字や顔文字だと、まだまだ話が続きそうに感じる。句読点を使うことによって、この文章は終わりであるという共通認識があるため、会話を終わらせたいのではないかと感じる。
③「。」という文字が整いすぎているため、怖くなる。
➡崩し字など昔からありますよね。使用すると、途端に親近感や躍動感など生まれます。
丸みをおびたものは、安心感があるとされます。
しかし、文字の中でとりわけ「。」は完全なるルール・完全なる円があるため、整いすぎて怖くなる。
日本人は美しいものと、恐怖を混在させます。
桜の木の下には死体が眠っている。等。
整っているものには、実は裏があるのではないか。
整わせているように見せかけているので、何か隠したいことがあるのではないか。
そういった推測にも繋がるのかと感じます。
日本人の建前と本音の文化に通用するところかな、と。
チャットなどが普及したのは、早速の本題を嫌う日本人ならではと感じます。
徐々にあなたを知りたい。
いきなり100で来ないでほしい、100を求めないでほしい。
どこまで出していこう。
どこから聞いていこう。
そういった探り合いでも、絵文字や顔文字といった文字以外のもののほうが分かりやすいのです。
ルールに則った、オフィシャルでビジネスライクの書式である「。」はこれ以上は踏み込まないで。つまりは怒っている・不快に感じていると受け止められてしまうのです。
それが一旦停止なのか。進入禁止なのか。
句読点を受け取った相手は、その判断もつかず、確認することで相手をより怒らせる・不快にさせるのではないかと感じ、控えます。
建前と本音はいけないことと捉えがちです。
しかし考え方を変えると、会話を楽しもうする文化とも言えます。
相手の都合・考え方、自分の都合・考え方。
全体を捉えてから、次に繋がるようにすこしずつ。
もっとあなたを知りたいんだ。
もっと私を知ってほしいんだ。
今日この場でとは言わない。
お互いの信頼関係が出来上がったら、すこしずつ。
そういった配慮なのです。
だからこそ、文面にあう最後のマークを手間をかけて探すのだから。
句読点の問題は世代間のギャップではなく、元々そう感じる人は多かったと思います。
句読点を付けずに、記すひとは仲良くしていきたい意思や今後の関係について示唆していると感じれるのです。
よく「好きだよ♡」と相手から来たから、これは脈ありかな?
だって♡ついてるよ!
という人いるじゃないですか。
文字面がかわいいから使用するひともいますが、♡を送るのは本当に好きな人だけ。
特別な関係だけと受け取るひともいます。
また文面の流れもあります。
この流れだからこそ、その絵文字が本領を発揮し、本気の好きを表現しようとしてくれているのだ、と。
よく好きなひとなどに送る文面など、悩んで相談するひといますよね。
その時にも、文面に特別感を出すために文章以外もこだわったことなかったでしょうか。
たかが、絵文字・顔文字なのですがそういった言葉で・文字で説明するよりも分かりやすいのです。
今、アプリでshimejiがあります。
これは伝えたい気持ちを文字にしよう。
というテーマです。
馬鹿にしていたのですが、使用してみるといいのですよね。
こんなに面白いのだなと思いますし、分かりやすい。
絵文字や顔文字の使用方法が学べるというか、そういう使い方面白いなとなります。
文字ほど不確かなものはない。
だからこそ、様々な見解が生まれたり、フェイクニュースが生まれ、拡散される。
形ないものだから、みなが違う形で捉える。
だからこそ、複雑で面白い。
何千年と魅了される。
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