楽緒にとって「諦めて生きる」とはどういうこと?
これは、最近見たドラマの中の言葉で、移住前の私を表す言葉です。
私は
ある難病の方Aさんの生き方を知って、それがその時の自分が選ぶ道なのだと気づきました。
Aさんは毎瞬命がけで生きている方なのですが、生きるために多くのものを諦め捨てられたことを知りました。
それは、普通の人が当たり前としている息をすることを含めた、人生や日常の全てに当たるのです。
その姿を拝見して、私はその方ほどではないけれど、周りからは無謀に見える無計画な生き方、生活を選択することにしました。
私も捨てる覚悟をしたんです。
そのことは、以前の投稿にも書きました。
具体的には、
徒歩で行ける範囲には、駅やコンビニ、◯◯スーパーは最低限必要。
と思っていたのですが、その全てを諦めました。
他にも、生きる上で欠かせない、心の支えとしていたものを含めた多くものも諦めました。
そして移住してから見えてきたのは、これから先どうなるのかわからないけれど、これでよかったのだと思える現実でした。
私は、移住前に多くのものを捨ててきたはずなのですが、実際には予想を超えた新しいものが準備されていた、整っていたことにたくさん気づいたのです。
それは人間ではできない、なんらかの力が存在して創り上げられたようにしか思えないラッキーが、いくつも起きて不思議な気持ちになりました。
きっと、移住前のまま、必要だ、当たり前だ、欠かせないと思っているものにしがみついていたら、そのミラクルは起きてなかったと思っています。
かと言って、新しい場所は完璧ではありません。理想郷でもないし、辛い状況も続いたままのこともあります。でも、次の展開が待っているようにも思えるのです。
私は、期待や希望も持ってしまいますが、目の前にあることをやっていくしかないと思っています。
この移住は、
何かを始めるために
何かを終わらせているプロセスであり
道程、道しるべ、現在進行形
その続きである
と思っています。
つまり「移住=完了」ではなくて、変化し続けているのをハッキリと感じているのです。
別の表現をするならば、終わりなき旅、始めるために今があり続けているのだと思っています。
また「変化=生」を感じています。
変化というくくりで終わりではなく、永続的に変化のアイデンティティそのものが、生を持っている。生き続けているのを感じています。
私はその変化という、生きたアイデンティティの中に生かされているのでしょう。
同時に、私にとって「諦めて生きる」とは、生きていたくて、手放しつつ、今を生き続けることなのです。
諦めて何もせず絶望の中に無気力でいるのではありません。
その時できることを、私なりに最大限にやってみています。
結果なんてわかりません。答えも分かりません。何が正しくて何が最善なのかもわかりません。
ただわかっているのは、私は転地療法をきっかけに移住をすること決め、多くを諦め、捨てて、始まりのスイッチを入れただけだということです。
目をつぶったまま「えい、やぁっ」って、飛び出し、飛び込みました。
これからどこに行き着くのかわかりませんが、自分で計画するのではなく、身を委ねて楽しんでみたいと思っています。
byらくちゃん