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いつかの夢の考察

俳優の西田敏行さんが亡くなった。
ドラマや映画でたくさん見た俳優さんであり、出てるとその話が面白い、と感じる俳優さんだった。

たくさん病気をされたようだったけど、それでも演技をし続けている姿は一視聴者から見ても素敵だったし、最期は苦しまずに逝かれたのかなと思うと、勝手ながら流石だなと感じてしまう。


死生観については以下の記事でちょろっと触れているのだけど


1ヶ月程前に不思議な夢を見て、目が覚めてからもあまりに強く覚えていたため、メモ書きに残していたものがある。
すぐに投稿しなかったのも、今になったのも、何か意味があるのかもしれない。
よくわからないこの夢の話も、今なら投稿できるかもしれない、と思えたから記事にします。





弟が消された
夢を見た。

めちゃめちゃ大事な弟でした。
私には弟はいないんですけどね。


起きてからも、とてもファンタジーな夢でありながら、現実に起きたかのように感じるような、不思議な夢だった。


夢の途中から、私の味方のような人が現れて
その人が、早く逃げた方がいいと私を説得した。

家に戻ると、同じように逃げる準備が整ったかのような弟が帰ってきたところだった。
私たちの味方は、少し安心したような様子だった。
彼に別れを告げ、出て行こうとするその直前、
「開けないで!」と私は叫んだ。

弟が外に出ようとドア(お店のような一面ガラス戸で外が見えている)を開けようとした時、外に知らない人たちが見えたのだ。
「開けちゃだめ、外に怪しい人がいる」
小声でそう言った途端、
その人は閉まっているはずのドアから中に入り、
穏やかに笑いながら言った
「怪しい者です」

その時、味方の彼が私の後ろから「逃げろ!」と叫び、私はその声に押されるように違うドアから外へ逃げた。

でも、逃げながら私は「私だけ逃げても仕方ない」「それじゃ何の意味もない」と強く思い、
そう思った途端、もう体は前へ進まなくなっていた。

そして私と弟は怪しい彼らに連れられて、宙に浮いた。

相手は二人で、私と弟、の4人。
そこにいた相手は確かに二人なんだけど、二人というのか、二つというのか。
外からやってきた時のような人の形はもうしていなかった。
ただそこに、二つの存在と私と弟の存在があった。

そして彼らは私たちに、穏やかに何かを話した。
何か、数のようなものを私たちに言わせていた。

その数字をいいながら、私は過去を思い出していた。

ああ、あれか。
ああ、そっか。
またか。
もう、どうしようもないんだな。

と、何かを察し、懐かしさも感じながら、どこか諦めがあるような感覚だった。

そして、先に弟が消された。

弟の身体はゆっくりと地上に落ち、横にいる身体ではない弟に別れを告げた。
「あなたは私にとって本当に大切な弟だったよ」
私は泣いていた。

弟は消えた。

そこで目が覚めた。



どんな意味があってこの夢を見たのかわからないけど
なぜか夢の中では思い出したような
あれか、またか、もう仕方ないのか
という感覚。
初めて見た夢なのに。

目が覚めてからもなかなか起き上がれず放心状態。
呼吸が浅い。
できるだけ深く意識して呼吸しながら、まだベッドの上で横になったまま頭に浮かんだのは

ドアを閉めても
逃げても隠れても
死は必ずやってくる

ということ。

そして、

悲しみは本当に悲しみなのか
悪だと思っているものは本当に悪なのか

という言葉だった。



どれだけ逃げても死は必ずやってくる。
私だけ逃げ切ることなんてできない。
もし仮にできたとして、それがなんだというのか。

死=悲しみではない。
失い、在ったものがもうそこには無いという事実が、
人を寂しくさせ、悲しい気持ちにさせるのだ。

もちろん、悲しい死もあるが
死というもの自体が悲しみであるわけではないのだ。

そもそも、在ったものが無い、ということは、事実なのだろうか。
在ったものは無くなってはいないかもしれないし
そもそもはじめから無かったのかもしれない。

身体である弟は地に落ち倒れたが、彼はまだ私のそばにいた。
その後彼は高く消えたけれど、そこに残ったのは悲しみではなかった。
私もまた、彼のように高く消える。
そしてまた出逢い、共に生きるのだろう。


悲しみは本当に悲しみなのか
悪だと思っているものは本当に悪なのか
見えているものは本当に存在しているのか
見えていないものは本当に存在していないのか


目が覚めて何時間経っても覚えていた夢が与えているメッセージを、自分なりに考えてみた。

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