「親に認められたい」という感情
「親に認められたい」
「親に分かってもらいたい」
という感情を持っている人は多くて、
親から生まれたのだから当たり前なんだけど
親がそれに値するのかどうかは別の話。
親が嫌い、なのに、認めてもらいたい
親が自分のこと全然分かってくれないし、分かろうともしてくれない場合に、その親に育てられた子どもの多くは親のことを好きではないのに心の奥底では「親に認めてもらいたい」感情を強く持っている。
『親が嫌い、なのに、認めてもらいたい』
という相反する感情を心の中で抱えて苦悩する。
もし、
自分のことを分かってくれて認めてくれる親ならば、子どもは「私を認めてほしい」という感情はそもそも湧かないし、心が安定しているから、人生の中で悩みや苦しみが来ても乗り越えていけるパワーが備わってる。
毒親に育てられた子どもが抱える感情「分かってくれない」
毒親に育てられたから、子どもは「なんで私を認めてくれないの?」「なんで私を分かってくれないの?」という感情を抱くわけで、毒親なのだから、子どもを認める、分かる、という感情は希薄だ。
なのに、子どもはいつまでも親を追いかける。成人して大きくなって、自分に子どもが生まれても、親が認めてくれるまで追いかける。
追いかければ追いかけるほど
親を嫌いになるし
嫌いになればなるほど追いかけたくなる。
『親が嫌い、なのに、認めてもらいたい』
という相反する感情の負のループから出られなくなる。
負のループから出るには
ではどうしたらいいか。
親が嫌い、という感情を手放してしまうか
認めてもらいたい、という感情を止めるか。(止めることが出来なければ諦めるでもいい)
そんなこと言われたって、湧いてくるんだから無理だよー。
という声が聞こえてくる。
無理、というのは、
出来ない、と諦めているから
つまりは、『親が嫌い、なのに、認めてもらいたい』の負のループにいることを認めていて自分に許可していることになる。
許可して認めているのだから、それは自分が望んだ世界なのだ。
いやいや、私はそんな世界を望んでない!!!
と思うのなら、「認めたり」「許可」しなければいい。
親が嫌い!と思うから親を好きでいたい、という感情が対(つい)で出てくる。親が認めてくれないから「認めてほしい」という対(つい)の感情が湧く。「対」とは、180°一直線の上にいる。
対の関係は表裏一体
対とは一直線上の関係で、反対にいるようで実は同じ「場」にいる。綱引きの関係性だから、片方を引っ張れば、片方は引っ張られるため、ずっと気になる存在なのだ。
よく「愛」と「憎しみ」は表裏一体というけれど、苦しいのならばその反対に行こうとするのではなく、対の関係から逃れた方がいい。愛していたのに、あることがあって憎しみに変わったのなら、どうして私を愛してくれないの?と愛を求めて追いかけるより、終わらせる方が自分のためになる。深い憎しみは身を亡ぼすから。
愛着障害から抜けられないのは理想という妄想を追いかけるから
いつまでも親に認めてもらいたいという感情を抱えているのは「愛着障害」の一つである。早く自立したほうがいいけれど、幼少期の親子関係は大きく残るため、なかなか難しい。
すでに書いてきたように毒親なのだから、そんな親にいつまでも愛着を持たない方がいいのだけれど、どうしても求めてしまうのが子どもで、だから「愛着障害」なのだけど・・・
そんな子どもがいつまでも追い求めているのは
「自分が思う理想の親」
になってもらうことを求めている。
苦しかった私に寄り添い
辛かった私を分かってくれて
優しく包んで満たしてくれる親
そんな親を求めてもそれは「妄想」なのだ。
普通の親であってくれさえすればいいのに普通すら手に入らず、求めてしまう親像は理想であり、妄想なのだと知るのが本当に怖い。
今在る自分の現実を見ない限り抜けることが出来ないから、自分は理想という名の妄想を追いかけていたのだと真に知る必要がある。
この過程を通るのは、深い苦しみと悲しみがやって来るので、これを抱えて生きている人は本当に大変だと思う。
大変だけど「必ず抜け出せる」とお伝えする。
自分を認めてくれる存在はまわりにいる
あなたを認めてくれる存在は、他にたくさんいて
まわりをみたら必ずいるよ。
あなたを見つめ寄り添う存在・・・
親の存在だけに固執しなければ必ず現れるから!