古今亭文菊45歳特別独演会に行ってきて
きっかけ
文菊さんを知ったのは最近のことで、2023年年末の浅草演芸ホールで行われた圓菊一門会での高座を拝見したときであった。
印象として、まず声が好きだなと感じた。
少し高めの声で品があり、どことなく艶っぽい。
女性の演技が映えるんだろうなと思った。
また、見た目と話し方のギャップに驚いた。
生年月日が1979年2月23日ということで、当時は44歳。
少なくとも真打の噺家さんのなかでは比較的お若い年齢のはずであり、見た目も年相応かそれ以上に若く見えた。
しかしその話し方、物腰は大分お年を召した噺家さんのようにおっとりとしていて柔らかい。
その会でご本人もお話になっていたが、これは師匠の二代目圓菊さんの影響とのこと。
文菊さんが弟子入りをした際にすでに圓菊さんは74歳であり、そのお師匠さんから立ち居振る舞い含めて教わったからそうなったそうで。
この一門会での出会いがきっかけで、今回の特別独演会を聴きに行ったわけである。
落語と笑い
文菊さんの演目は、『七段目』と『心眼』。
仲入り前のゲストの立川志の春さんとのトークショーでの内容をもとにいま振りかえると、なんとも気の利いた噺選びだなと感じる。
『七段目』は滑稽噺で、芝居が主題のため演じ方も必然派手なものとなる。
一方『心眼』は人情噺であり、一部登場人物が怒ったり泣いたりという場面はあれど比較的静かに展開する。
トークショーで文菊さんが仰っていたことのひとつに、落語を聴きに来るお客さんと噺家との意識の差、というものがあった。
曰く、お客さんの方はまるで漫才を観るかのごとく「何か面白いことをやるんだろ?さあ、笑わせてみろ」という風だという。
他方、噺家のほうのベクトルは様々で、噺のなかには滑稽噺だけでなく人情噺や怪談などもあるので、笑わせるだけでない方向で演じている人もいる。
これを笑点の功罪とも表現されていた。
笑点のおかげで、現代においても「落語家」という存在が広く認知されているのは言うまでもない。
ただその認知の仕方は極端に言えば漫才師、コント師といった「お笑い芸人の一種」といった捉え方ではないかと私は思う。
立川談志さんは、客の姿勢と落語との関係について著書の中で次のように述べている。
笑いの量を競うことはしたくない、しかしそのレースに乗らなければ自分、ひいては落語という芸能は生き残れない。
そんなジレンマは多くの噺家さんが抱えていることだろう。
独演会の最後で、笑いの部分の少ない人情噺である『心眼』をやる、というのは勇気のいることだったのではないだろうか。
それでも今回の構成にしたのは、『七段目』で大衆的なお客さんを笑わせて満足させ、『心眼』で「とはいえ落語にはこういった側面もありますよ」と紹介する狙い、笑い以外の落語の面白さを分かってくれる人がひとりでも増えるようにという文菊さんの想いがあったのかもしれない。
この状況に対して私は、ひとりの聴き手として何ができるだろうか。
私のような個人が周りにいわゆる”正しい”聴き方を啓蒙することはできないし、すべきでもないと考えている。
そのような説教くさい雰囲気は現代の人が最も嫌がるものであるし、娯楽の種類が多い現代において落語の敷居をあげるような行為は、落語の衰退を加速させることになりかねないと考えるからだ。
なのでいまはとにかく、『心眼』のようにキュッと身につまされる想いになる噺や、ジーンと胸が暖かくなるような人情噺を大切に聴き、そのような噺をしてくださる噺家さんがこれからも出てきてくれるよう、なるだけ寄席や落語会に足を運んでいきたいと思う。
龍角散のCM
余談だが、落語以外で面白かったポイント。
ゲストの立川志の春さんは立川志の輔さんのお弟子さんであり、そのつながりでトークショーのなかで志の輔さんが出演されている龍角散のCMの話になった。
ひとつ前のバージョンでは志の輔さんのセリフは「理屈じゃ、ねぇんだよ」という、なんとなくお職人の喧嘩の一幕のようなものである。
このセリフを志の春さんが真似をして言ってくださったときには、さすがお弟子さんというような似かたで大変よかったし、その後の文菊さんの「でもあれを聞いて思うんだけど、薬って理屈だよね?」というツッコミにはめちゃくちゃ笑ってしまった。
現在のバージョンでは「一同、立ちませい!」というお奉行さんのセリフになっている。
これも龍角散とはあまり関連のないセリフだが、より落語っぽさを出すための変更ということなのかなと、個人的には思っている。