時代を超えて語り継がれる「恋愛」という不変のテーマについて
なんだか最近色々と考えていると、世の中で一番複雑なのは「誰か(あるいは何か)が好き」という感情なのではないかという気がしてきた。人が持ち得る感情の中で、「好き」という感情は一番強いものなのではないかと思う。
今流行りのビジネスなぞというものは時代によって移り変わりがあるし、巷で叫ばれているデジタルトランスフォーメーションもD2Cも、数年後には「ああ、そんなものあったね」という歴史の遺産に成り下がっていて、また新たな横文字が生まれているのだろうと思う。
でも、恋愛(あるいはこれが好きだあれが好きだ)というテーマに関しては、色褪せることなく不変に語られ続けるのだろうし、語り尽くされても語り尽くされないほど複雑で不可解なテーマなのだろうなと思うのだ。それこそ、恋愛なんて、平安時代から変わらず創作物の永遠の命題として扱われている。光源氏が恋愛でしっちゃかめっちゃか遊び散らかした物語は、長い年月を超えても変わらずに読み継がれている。きっと、恋愛って身分や性別、年齢に関わらず何百年、何千年と変わらない人の欲求なのだ。なんだかそれってとても面白いことだなと思う。
そして、230日くらいnoteを書いてて気づいたのだけれど、わたしは恋愛についてのnoteを書いている時が一番たのしい。正解がなくて、不変のテーマで、興味関心が持てるから。ああ、いつの時代も人は恋愛、もっと言うと人と人との関係について悩み続けるのね、と思う。
「好き」っていう気持ちって、物凄く主観的だ。
過去記事を引用してしまうが、同じ容量の「好き」を人に対して抱いていたとしても、自分の感覚で「好き」か「そうでない」かを決めることができてしまう。
そもそも、好きってなんなのだろうと思う。
思い込みであると言われればそんな気もするし、そんなものではない、もっと高尚なものなのだと言われるとそんな気もしてくる。
少なくとも、わたしたちは誰に教えられた訳でもないのに、勝手に人を好きになる。そして、好きになって誰かに想いを伝えたら、当たり前のように「付き合う」という関係に移行をしていき、その先には当たり前のように「結婚」という関係が待っている。なんだか、これってとても面白い。全く、これを否定する訳でもないのだけれど、こんな感じで当たり前のようにみなこの手順を同様に踏んでいくのが面白いなと思う。誰に教えられた訳でもないのに。
この領域って、本当に人の数だけ恋愛観が存在していて、人の数だけ恋愛ドラマが存在していると思うので、色々な人の恋愛の話を是非聞いてみたい。
そして、「人を好きになるってどういうことか」という終わりのテーマについて、自分なりに考え続けることができたらいいな、なんてことを思った。