「裏切りの黄色」とひまわり
西洋では、「黄色」 は「裏切りの色」だと認識されていた時期があったそうで。
古代ヨーロッパでは、小麦などの作物のイメージから「豊穣」や「豊かさ」、「太陽」を想起させていた黄色。
中世になるとそのイメージは一変、なぜか「虚偽」「卑劣」「裏切り」「下劣な行為」を象徴する色だと考えられるようになったそう。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でも、ジョットの『ユダの接吻』でも、イエスを裏切ったユダは黄色の服を着せられて描かれていた。
実際にユダが黄色い服を着ていたのか定かではないが、黄色の「裏切り」のイメージとイエスを貶めたユダのイメージが重なって、黄色はユダの色として使用されるようになったそうだ。
また、スペインでは異端者が黄色の服を着せられたり、社会的差別の手段としてユダヤ人に黄色の服や印を身につけさせたりと、黄色の色が持つ負の歴史は意外と根深いらしい。
宗教を重んじるヨーロッパで、赤や青は祭典に用いられる色として大切にされてきたが、あまり使用されることのなかった黄色は軽視され、それどころか裏切りの色だという烙印を押されていたそうで、高貴な色だと大事にされてきたアジアの文化とは対照的だ。
そんな歴史をものともせず、豪快に黄色を使って完成させた作品がゴッホの「ひまわり」だ。
とても有名なこの「ひまわり」、実は7作品存在して、唯一無二のものではない。
たくさんのひまわりを、「裏切りの色」である黄色をふんだんに用いて描いたゴッホは、どのようなことを考えていたのであろうか?
実はドイツに旅行に行った時に、ノイエ・ピナコテークに所蔵されている7作品のうちの1つであるひまわりを見たことがある。
力強くて繊細で、色がしっかりと乗っていて、決して緻密に描かれているというわけではないのに見入ってしまう、不思議な絵だったと記憶している。
当時のヨーロッパではそこはかとなく忌み嫌われた黄色を用いつつも、ひまわりの明るさや活力をキャンバスいっぱいに描き出したゴッホ。
そんな「ひまわり」が、今日本にやってきている。
今週末に訪れようと企画しているのだが、コロナ影響で開催が延期になってしまい、ずっと楽しみにしていた展示だったので楽しみで仕方ない。
ドイツで「ひまわり」を見たときは、この色があまり好ましいとされていなかった色だったなんて知らなかった。
その知識を手に入れた上で、もう一つのひまわりはわたしの目にどのように写るのだろうか?