情緒障害になった長男



めっちゃ久しぶりの更新ですが!
さらっと1年ぶり?2年近い?
ちょっと慌ただしくしておりました。

その理由の一つが長男で。
昨年4月、長男が小学校に入学したんですが
さすが私の息子。
見事に(?)場面緘黙という情緒障がいになりまして
しばらく一緒に学校に通ったりしていました。

その長男も今は小学2年生。
毎日めっちゃ楽しく学校に行っています。
なんなら小学校を満喫している。

元々(保育園時代)は何の問題も見られなかった息子が
ある日突然様子が変わり、突然友達の前や特定の場所でしゃべれなくなった…
などのうんぬんかんぬんを、
母の立場からブログでシェアしようと思います~

スピの観点も満載だけどね。
スピをどう育児に役立てているかという記録も兼ねて。

場面緘黙(かんもく)という障がい児になった息子

それはもう本当に突然のことでした。

それまで毎日楽しく通っていた保育園に
突然「もう行かない」と言い出したのが卒園の1ヵ月前。

「連休明けによくある、ちょっと行きたくない気分なのかもな」
と今までと同じように普通に保育園に連れて行ったら今までとは違い息子は大号泣。
朝機嫌が悪くてもしばらくすると自分で立ち直れる子だったので
今回もそうだったんだろうなとお迎えに行くと、
今回は気分が立ち直ることなく
ご飯もおやつも一切食べず1日中自分のロッカーに閉じこもっていた…
という様子を教えてもらいました。

それから毎日その状態。
友達と行動を共にすることもなく、友達とおしゃべりをすることもなくなり
(もちろん先生たちとも話はしない)
ご飯やおやつも食べず、ずっと自分のロッカーに閉じこもっている。

その状態が今までの息子からは考えられない、何があったんだ、と先生たちも困惑し、1週間経過したくらいで先生との懇談が入ったと思う。
みんなでどうしたんだろう?と話をするけれど、
それまでが問題がなさすぎて
心理の先生も「…どの子でしたっけ?」となり傾向と対策が無い。
懇談後も大人であれやこれや工夫してみるも、その状態は改善することなく
(ご飯は自分のロッカーの前で孤食の状態なら食べられるようになったけど)
そのまま卒園式。

卒園式ももちろん大号泣し「行かない」。
何とかパパに抱えられて卒園証書を頂き
やっとの想いで卒園式を終えました。

もうね、その時の心境は「どうしたの」の一言。
本人にも聞いてみるけど分からない。

これは…と思いながら迎えた入学式。
案の定「行かない」から始まり、何とか教室に連れていくけれど
教室から一人抜け出し体育館にいる私たちの元へ来ようとしてしまう。

パパに抱えられてもなお入場を拒否し(拍手を止めていいのかどよめきが起こるくらい手こずっていた)
結局パパに抱っこされパパと一緒に登壇、
立派なパパの入学式になりましたww

その時にはお友達とも言葉を交わせない状態は継続中で
お友達は「れんせいくん、どうしたの?」。
…是非私も聞きたい。

次の日の集団登校では列から一人遅れ、
おもむろにランドセルを脱いだかと思ったら
道の真ん中にランドセルを置き、一人だけ歩き出したとのこと。
(登校を見守っていたおばちゃんが驚いてランドセルを無事回収し、
付き添い登校してくださいました)

…ランドセルを置き去りにするとか、もはやギャグやん。

そこから毎日ママと一緒に教室まで送り迎えの登下校をすることになるわけです。

教室でも初めは勝手に机を動かして黒板に背を向ける配置にし
一緒に授業を受けるどころではなかったものの
あれやこれやと先生と話をし、
あーしてみよう、こーしてみようの大人たちの工夫と本人の努力が実った結果、今では学校大好きっ子になりましたが!
(教室でみんなと一緒に勉強したりできるようになるまでは数カ月かかっているし、1年生には2人の先生がついてくれて、その先生方を息子が大好きになれたのが大きいかなと分析している。ちなみに登下校は、2年たった今はだいぶ一人でも平気になってきました。)
一言もしゃべらない場面緘黙は続いてるけど学校大好きなんだって。

場面緘黙って?その時私は。。。

そもそも場面緘黙とは、
ある特定の場所や人の前でしゃべられなくなる症状のこと。

息子の場合は
・学校の敷地の中
・学校関係の行事
・学校関係者の前
ではしゃべることが一切なくなった。

だから、
学校から帰ってきたら超普通におしゃべりするのです。
玄関を開けた瞬間からしゃべりだすし、
お迎えの車に乗ったとたんにしゃべりだす。

失語症でもなく、本当に本人のこだわりの中で
しゃべる場所とそうでない場所を選んでる。

んで私はそんな状態になった息子を見て
最初は戸惑いましたよね~。
本人に喚き散らしたこともある。
なんで保育園でそんな状態になったのかを聞くために話し合うつもりが、
私も戸惑いや不安から「今からそんなんでどうするつもりや!」的に
感情的にめっちゃ息子に喚き散らして、息子と私2人でめっちゃ泣いた。

その時の自分を責めるつもりもなく、
荒れ狂う自分を「そうだよね!戸惑うよね!不安よね!当たりたいよね」と肯定しつつ。

で、(当たり前だけど)私が荒れ狂っても現状(息子)は変わらなかったので
自分の考え方を変えたほうが早いよね!と切り替えた。

考え方の変化のプロセス↓↓↓

まず、もろもろの現状に対する解釈を再定義。
(これスピ要素。現状をどう捉えるかっていうやつ。)

★場面緘黙の子の割合は0.2%くらい(500人に一人とか)らしい。
⇒結構レア。そんなレアを手に入れるとかやるやん!さすが私の息子。

★私という母だから場面緘黙になれたと解釈。
⇒どんとこい、障がい!私のためになることだから起こったし
 私に必ず乗り越えられるから起こったギフトな状況や!

★場面緘黙は障がいの一種で、障がい児の母になったという現実
⇒障がい児の母というステータスが一つ加わった!
 私の魂経験値が上がった!

★毎日送り迎えが必要
⇒学校教育をより良いものにするために必要な現場調査が毎日できる!
 先生たちとも仲良くなれるチャンス!
 なんなら他の児童とも仲良くなれるチャンス!


…あれあれあれあれあれ?
息子、すごくない?
私にとってのメリット、めっちゃ多くてすごくない…?
めっちゃありがたくない…?

って考えてたらニヤニヤしていたので
(ニヤニヤできたら自分にとっての正解なのでOK)
自分の中の概念の書き換え完了。


次に、学校に行きたがらない息子に対しての概念を変える:
これはめっちゃ自問自答した!
普段から私も主人も、学校が全てではないから学校行かなくてもいいじゃん
というスタンスだったので
実際に学校に行かなくなるかもしれない息子を前に正直戸惑った。

本当に行かなくなるの?
家にずっといる?
フリースクール?ホームスクール?
私の生活どうなるの…

で、出した結論。

学校が全てではない。
が、学校に行くメリットがゼロでもない。
そもそもまだ、
“学校に行っている”というレベルの学校を経験してない。
だから、先入観(思い込み)だけで学校は怖い場所と決めつけている状態の息子。思い込みで学校を拒否するのはもったいない!
⇒しばらく学校へ行って、自分で学校生活とはどんなのかがわかった上でそれでも行くのが嫌ならば学校に行く必要なし!だから、しばらくは(私が)学校に通わせたい!
という結論でした。

私がひっかっかったのは“食わず嫌い”の部分で。
経験していないことを先入観だけでイヤと判断するのは人生もったいないのでは?!
という部分にひっかっかったから
まずは学校生活っていうものを私が経験して欲しかったんですね。

学校生活って、1年間色んな行事があって。
その時々によっても行きたい気分と行きたくない気分の時があって。
その全部をまずは経験してみて、それでも嫌なら学校にいくのをやめたらいいよと息子にも話をしました。

息子は場面緘黙という情緒障がいの他に自閉症傾向もあるので(こだわりがめっちゃ強く、そのこだわりも独特!)、
みんなが勉強しているひらがながつまらない(簡単すぎる)と言えば
大好きなトミカのドリルを持ち込んで一人だけ違うことをさせてもらったり、
みんながお絵描きで太陽を描いている中でそれがイヤだといえば大好きな消防車を描かせてもらったり、
みんなと同じ空間にはいるけれど、離席自由、やることは自分で決めていいよ(ただ、他のお友達の邪魔はしない)というイレギュラー対応をとって頂けるよう、先生たちとも相談。

………………ん??????
世の中の大人たちが目指している理想の学校生活(一人一人の個性でやりたいことを自分が選ぶ)の一つが、
まさに今ここに実現しているのでは…????
最高なのでは…?????
(もし他の保護者の方から息子の特別扱いを指摘されることがあったら
私がその保護者さんと話をしますとも先生には伝えてあったんだけど、
保護者のみなさんもみんな理解してくれていて感謝の一言)

毎朝教室まで送り届けていたり活動に参加したおかげで
色んな児童とも仲良くなりつつ、
ちょっとずつ息子が自分一人でできる範囲を広げていったら
いつの間にか一人で帰って来られるようになり。
(朝はまだ途中まで付き添い)

学校では一切しゃべらない状況は続いているけれど。
児童14人に対して2人体制の先生たちのおかげも大いにあり
(本当にそれが大きい。ほぼマンツーマンでついてくれていた)
なんとか学校に行く日々が続いたある日…

息子からの衝撃的な一言

「絶対に学校休みたくない」

…ぶっ飛んだ。
思考も今までの苦労も。

息子が家で言ったの。
絶対学校休みたくないって。

ウケる。いや、素晴らしいんだけど。
なんでいつからそうなった。

私「何がそんなに楽しいの?」
息子「勉強も楽しいけど、友達と遊ぶのが楽しい」

…そうか、そうなのか、
ついに非言語コミュニケーションを極めたのか…

実際、友達と遊ぶ時も一切しゃべらない。
が、息子はモテる。控えめに言って人気者。
顔面がいいし性格が非常に穏やかだし女子力高い系男子。
しゃべらないけど人を接するのが嫌いなわけではない。

休み時間になると自然に友達が集まって
「れんくん〇〇する?しない?」
「じゃあこれは?いや?」
と、クローズドクエスチョン(YesかNoで答えられる質問)を駆使して
息子の意思を引き出し遊んでくれているらしい。
そしてそれがみんなも楽しいらしい。

貴方たち、コミュ力高っっっ!!!
コミュ力バグってる集団かよ…
これはお友達に本当に恵まれた…!!!!

前々から「いい子が多いよね~」
なんて呑気な見立てをしていたものの、
そんな“いい子”で片づけられる子たちではなかった。
神々が集っていらっしゃる、このクラス…!!!!
上級生まで…!!!!
いじめという概念はないのね、あなたたち。
もはや高次元の神々学校…

「れんくんいつしゃべるの~?」と本人に臆することなく聞きつつ
困るほど問い詰めず気まずくなるほど深刻に問わない。
…これぞ本物の優しいコミュ力…!!!!!
このコミュニケーション力を身に付けたくて
大人はン十万も出したりして勉強するんだよ…(´;ω;`)

そもそも、小規模な学校で1学年14~20人程度が1クラスのみ。
全校生徒110人前後。
1つの保育園からの持ち上がりで複数の保育園が合流するというわけではない。

だから、良くも悪くも状況は全員が把握している。

「しゃべらなくてもレンくんはレンくんじゃん」というのが
息子のクラスの共通認識であり、
しゃべらないレンくんを最大限に肯定してくれている。

この環境だったらそりゃ学校楽しいよね。。。

障がい児になった息子は
そのこだわりの強さから苦労もするだろうけど、
それよりも何よりも
「ありのままの状態を受け入れてもらえる」
「何かができなくても問題ではなく、存在が大切」
という、人生で誰しもが求めるであろう無条件の愛を
親以外からも全力でもらえるという経験を手にしている。

これは控えめに言って最高の人生なのではないか。

私が感じる“苦労”や“困る”は、
あくまでも親の立場である私が苦労し困ると感じるだけで
本人は何も困ってない。むしろ楽しそう。

…じゃあいいじゃん!
というのが私の結論ww

息子の将来について

…んなもん、わからんよねww
将来がくるのかもわかんない。

将来この子はどうなってしまうんだろう…とか、自分も同じじゃん!っていう。
自分の将来だってわからんのにね。

ただ一つ言えるのは、今のこれが最善。
これからも良くなるしかない。

良くなるっていうのは宇宙とか魂的な観点なので
人間の観点の良い悪いではなく。

そして最高の息子、ありがとうということ。

場面緘黙というちょっとだけ特殊な状況において
めっちゃいろんなものを受け取って、
その結果が学校最高ってなってて、
あんたスゴイわっていうね。
私の経験値もメキメキあがっております!!!!


…とまぁ、去年からはこんな感じでして。

とりあえず、場面緘黙になった経緯を記録しました。

誰かのお役に立てたらめっちゃ嬉しい。
(シェア大歓迎です)
役に立てなくても楽しんで読んでもらえたらめっちゃくちゃ嬉しい。

最近は色々落ち着いてきたのでまた書きます^^

ではまた次のブログで♪

お読み頂きありがとうございます!

Laivessere(ライブエッセレ) 主宰
Lyhyk(リヒカ) こと 宮下愛


♡HPリニューアル♡

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