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「自分の為にも」私的解説&考察&実践シェア

こんにちは!
今日も今日とて解説参ります。

毎回のように言いますが、
実践してなんぼのスピリチュアルですからね!

実践したら本当に驚くから。
現実が変わるってこういうことかって絶対に腑に落ちるから。

その感覚を得られたらもう人生怖いものなしだと思っております。


R6.12.9 メッセージ

バシャール:自分のためにも

相手を赦すことで、その呪縛から自分を解放していくことができます。なぜなら『赦す』という意味は、執着する後ろ向きのエネルギーを手放していくことであり、完全に自分を解き放つ事を意味しているからです。

ですから、望まない出来事や望まないシチュエーションから自分を切り離していくためにも、『赦す』というプロセスを踏んでください。相手に怒ったり、シチュエーションを恨んだりしているうちは、その周波数で足踏みしています。

親兄弟(姉妹)に対するマイナスな想いを拭えない方は本当に多いと思います。しかし、相手に対する否定的な想いは貴方の周波数を濁らせ、前へ進ませてくれません。自分のためにも是非手放し・統合を実施してください。

どれだけ自分の人生が自由で解放的になるのか、実際に体験してみてください。驚くほど変わりますよ。

新しい地球のスターシード達へ the PLANET from NEBULA

転載元:Facebook


私的解説&考察&実践シェア

「相手を赦す」って、
すごく高貴な響きだし
高貴な振る舞いだと思っていたんですよ、私。

“振る舞いだと思っていた”って結構ポイントだと思っていて。

だってね、
相手のことは赦す、でも自分自身は赦さんって状態だったら
相手だけを赦すってもう表面上なだけじゃん、と。

例えばですよ。

子どもがですね、万引きをしたとしますよ。
でね、その子どもの母親が子どもに
「あなたのことは赦すから。もうしないようにね」
って言ったとする。
これ、相手を赦しましたよね。
でもね、その母親は続けて
「あなたは赦すけど、そんな子どもに育てた自分は赦さない!」
って言ってたらね、
子どもは本当に赦された感じがしますか?って話ですよ。

全然赦されてないやん!!!!
子ども、めっちゃ罪悪感やん!!!!
いっそ私を責めてくれた方がいいわ!!!
…ってならん…???

だから私は
相手だけ赦しても手放しはまだ半分だけで、
自分も同時に赦さないと
完全には執着(手放し)が終わらないと思うんです。

多分、バシャールのメッセージを読む人は
相手に怒るってもしかしたらそんなにないかもしれない。

けれど、自分に怒ってる人って実はめっちゃ多い!!!!
(しかも無自覚に)

相手に怒りを一瞬でも向けてしまったら
それは“悪いこと”と考えるから
相手に一瞬でも怒ったことを赦せずに
自分に対して怒りをむける感じ。

これが癖になっている人、結構いると思う。

バシャールは「自分の為にも」とタイトルをつけているけれど、
私は「相手の為にも」というのを付け加えたい。

そして、相手を赦すより先に
まずは自分を赦した方がいいと思う。

相手に怒りを覚えたら、
まずは怒りを覚えた自分を赦す。
「それは怒っちゃうよね!当然だよね!一発殴っとこうか!」
くらい、まずは自分の気持ちを肯定してさらには援護もして
怒りを覚えた自分を赦す。

一回やってみて、マジで。
怒りを赦した方が断然早く不思議なくらい落ち着くから。

で、自分の気持ちが落ち着いたら相手を赦す、っていう順番でいい。

逆に自分の気持ちが全然落ち着かなくて相手を赦せないなら、
赦せない自分は赦しつつ、相手は赦さんでいいと思う。
相手を赦せない自分を赦し続けたら
そのうちに絶対に落ち着くから。

で、冷静になれたら
相手の何にそんなに怒りを覚えたのかは
内観してみることを激しくオススメする。

相手の赦せないこと=自分でもそれをしたら赦さないこと
という構図なので、
自分で自分をめっちゃ厳しく監視しているうえに、
万が一そのNG行為を自分がしてしまったとしたら
めっちゃ自分に怒るし自分を嫌うし自分に制限をかけることになる。

そんな条件付きでしか自分を愛せないなんてさ、悲しくない?
何をしてもどんな気持ちを持っていても
自分は自分を愛してあげたいじゃんね。

人を赦せることが多くなる=自分に対しても赦せることが多くなる
ということなので、
結局は人を赦すことは自分のためにもなる、という
今日のバシャールのメッセージにいきつくわけです。

自分の為にも、相手の為にも、
自分も相手も赦すのが手放しだと思う。

「これって虐待じゃ…?!」って自分がなった時の話

もっと具体的に言うと。

上の子が1歳とか2歳とかの時の話。

それまではね、
『虐待』という事象に関して「なんだかなぁ…」という
決して赦せるスタンスにはなかったんですよね。
(レイキを学んでいたりしたので、強烈な批判まではいっていない感じではあったけれど)

けれどある日。
子どもがちょっと重い風邪をひきまして。
症状が辛そうだったので薬を飲ませようと
チョコレートに混ぜて飲ませようとしたんです。

夜は鼻づまりで泣いて母子ともに寝れないとか、
普段ワンオペ状態なので相当疲れも溜まってた時でした。

そういう時に限って、チョコレートを拒否したんです、息子が。
もうそれで体力気力ともに限界だった私がキレて
「飲めよ!」っていいながら無理やり息子の口にスプーンを押し込んで
口を力づくで押さえて無理やり飲み込ませようとして
見事に息子が吐きました。そりゃもう号泣で。

私は途方に暮れてしまって、茫然として
涙が溢れてきて息子と一緒に泣いている時に思ったのが、
『私の今の行為、立派な虐待だわ…』

ここで、「まずは自分を赦す」っていうのを思い出して
自分に対して
『イライラしたんだね、わかる。無理ないよ。』
『子育て疲れちゃうよね、投げ出したいよね、いいよそう思っても』
『母親だって人間だから、余裕ない時もあって当たり前!軽蔑しないよ』
『普段から子育て頑張ってるね』
『息子に風邪が良くなってほしかったんだよね』
『私は優しいお母さんだよ』
『私も苦しかったよね』
『頑張ってくれていてありがとうね』
って自分を赦しました。
(この間も息子は泣いていたけれど、
泣いている=生きているのでちょっとほったらかしにした)

そしたら、ふと次に思ったのは
『虐待って、こういう親が限界の時に起こるんじゃ…』
ってこと。
虐待認められないスタンスだったのが一瞬にして
『虐待をせざるを得ない極限の精神状態だったとしたら…
私その気持ちわかる!!!だから、責められない…!』
と、虐待を赦すスタンスに急激な方向転換をしました。

虐待を赦すとか極端な例かもしれないけれど、
あの一件で私は「虐待をした自分を赦した」経験から
「虐待をした他人を赦す」という実践を積めたわけです。

あれは大きな赦しだった…

一回赦せればあとは自分で自由に選べるようになるので
(虐待する or 虐待しない の選択肢の自由)
あの時は気分がいいものではなかったからもうしない、
と自分の確固たる意思で選び、
そもそもあんなに自分が極限になるまで抱え込まないと決めることができ、
その結果、もっと人に頼れるようになったり
「自分の余裕が家族にとって大切」と、自分にもっともっと優しくできるようになりました。
で、自分に優しくなれると自分の心に余裕(安心)ができるから
他人との接し方も変わってくる。
そういう自分の変化が人間関係などの変化も生むし、
私に優しい現実にどんどんと変化していったんですよね~

もうね、この「赦し」のプロセスを実践で極めれば
本当に天国が目の前に現れると断言できる。


相手と自分を赦す超簡単な魔法の呪文

他人に対して赦せないことがあれば
さっき書いたような途方もない自分との向き合いを経て
一つずつ赦してきた私は、
最近は簡単に相手と自分を赦せる魔法の呪文を編み出しました。

赦せないことをした人が目の前に現れたら、
「相手=私!赦せないことをした相手=私、それでも愛してる!」

はい、これを口に出せればまるっと解決。
※口に出せない場合は相当根強い思い込みやトラウマがあるので
内観のプロセスをしてください~
何にそんなに怒ってるの?何がそんなに赦せないと感じているの?

結局は、
「赦す=赦してもらいたい」
という気持ちだし、
「赦してもらいたい=どんな自分でも愛して」
ってことだなと。

だから、どんな自分(最低なことをしてしまっても)でも
私は私を愛してる!と言えれば最強じゃん。

結果として、怒りを継続させる必要がなくなってきたので
一瞬ムカっとしたりしますがニュートラルにすぐ戻れる=イライラを継続させないのでイライラの波動を出さずに済み
イライラの波動を出さないから(出してもすぐニュートラルに戻るから)イライラする現実も作られない
という、(波動を)出したら(出した波動を感じる現実が)返ってくる宇宙の法則を体験しています。


全てはね、「赦せない」んじゃなくて「赦さない」だけ。
全部自分次第。








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