2024年の若者の恋愛・結婚観と少子化問題の交差点
恋愛というものは現在において成立するのかは甚だ疑問ではありますが、これだけの人がいるのですからまだその営みは失われてはいないと思ってもいいでしょう。
結婚というものは、現在においては自分の周囲における空気感からの圧力というものは昔ほどはないものの自尊心の毀損の回避、実生活における言葉に表すことが難しい寂しさと歳を重ねた時の恐怖への抵抗手段として取られるように思えてならないさっこんであります。
『僕』の意見を述べるとするならば、恋愛は人生の致し方のない狂人じみた行為であり、理性の暴走と言ってもいいかもしれません。
恋愛意欲というものは生活意欲を裏切るようにして働くというのが長年生きてきた『僕』の結論でもあります。
結婚はその果てに取るべき(取らざることの得ない)または自然と行き着くものであり実生活の豊かさを与えるものであります。
ここで、誤謬をひとつ訂正しておきますと、前述における「豊かさ」とは辞書通りのもの、皆々様が頭に思いつくものとは異なるものかということを付け加えてから説明します。
この場合の豊かさとは実生活における日常の瑣末な喜びを共有し、愛することであり、実生活の日常の瑣末な苦しみを味わい続けなければいけないという「業」を背負うことを言うのです。
これは人生というものにおいて、人が生きることと同じで必ず自分という視座を通していうのであれば「良き」ものと「悪しき」ものの両輪が存在し己に降りかかるということであります。
これは世界においては自分ひとりだけで生きているわけではありませんから、自分の良いことは誰かの悪いことかもしれませんし、誰かの良いことは自分にとっての悪いことなのかもしれないのです。
そうした、メランコリアの境界を気づかないふりをして歩いているのが人の宿命というものであり、人生ではないでしょうか
要はこの世界において結婚しにくい、恋愛における価値観というものはそういうことであります。
人の恋愛や結婚を嘲笑するようなものが現代の若者の恋愛傾向としてSNSにおいて散見されますがそれは前述における両輪のバランスを欠いているに過ぎないのです。また、これは恋愛における人間の問題としてではなく、その社会性、背景を見なくてはいけないということは大前提でしょう。
それは個人主義という利己主義の置き換えによる人間の劣化というものかもしれませんし、経済的な問題としての政治・社会としての制度の問題としても言えるかもしれないということです。
ここは今週、恋愛、結婚というテーマでこの散文を書いていこうと考えておりますので読んでいただければ幸いです。
以下は参考としてのキーワードと散文を提示します