本についてのひとりごと。
近所のコインランドリーの前を通った時に、4,5台の洗濯機が同時進行でぐわんぐわん稼働してるのが見えると、ほっとするこの謎の感情。
先週、たまたま入ったスーパーで、カルダモンがお安く手に入ったので(こういうの嬉しい)、チャイに入れたり、シナモンロールに混ぜ込んだり、早速使い倒している。スパイスは秋の空気と合う。ピリッと、キリッと。
前回の記事で、サリー・ルーニーの新作「Intermezzo」を読んでるよーっていう話をしてから、ほぼ一か月経った。10月、まだ1記事も書いてないことに気づき、柿を食べながら恐れおののく。パンプキンスパイスラテを飲まないまま、10月が終わりそうです。ま、いっか。
暑い日に飲む麦茶のようにゴクゴクゴクゴク、あっという間に読み切ってしまった「Intermezzo」。私は精神的にまだ引きずっているらしく、心ここにあらずという状態です。次読もうと思っていた本に未だ集中できてない。サリー・ルーニーの威力よ。タイトルのIntermezzoには、間奏曲という意味があるのだけど、この作品はチェスが大事な役割を果たすから、チェス用語の中間手のことを指してるんではないかな。
年の離れた兄弟が主役なので、はて一人っ子の私が共感できるのか?と気にしてたけど、20ページくらいでもうその心配は風に吹かれていなくなってた。さいなら。サリー・ルーニーにはただ身をゆだねるべし。誰かを失うこと、大切な人にこそ素直になれなくて、はねつけちゃったりすること、愛おしい超どうでもいい瞬間のこと、人に分かってもらえないこと、うまく説明できなくて、もどかしいこと。言葉にできなくはないけど、わざわざ言わない感情を繊細に表現してくれている。「ふつう」から顔を出す「とくべつ」。悲しくても、前には進めてる。話の筋は特にないし、起承転結がはっきりしてるわけでもない、でも最後は涙がちょっとこぼれて、あー読んで良かった、とこの本を抱きしめて眠りにつきたくなった。
(BWWAYは「Beautiful World, Where Are You」の省略形)
先週末。東京古書会館で開催された「洋書まつり」に行ってきた。初参戦。神保町の駅から歩いて、会館に到着し、階段を降りて地下の会場へ。本の量よりも、人の量に驚く。肝心の洋書たちが見えないレベルの人でぎゅうぎゅうだったのよ。世の中にはこんなにも洋書好きがいるのかー、とテンションが少し上がりながら、手荷物を預ける。
1時間くらいかけて、会場を5,6周しながら吟味した結果がこちら。
洋書まつりを後にして、駅までてくてく歩きながら、私はこれから何がしたいんだろう、と考える。洋書、好きだけど。洋書まつり、楽しかったけど。うーん、しっくりこない、と感じている自分もいて。本好きが集まる空間に馴染めない現象。でも、本を読むのは好き。本がないと多分、生きていけない。本屋の匂いが好き。でも、本好き、洋書好きのLaica、って定義づけしなくてもいい気がする。日本語であっても、英語でも、自分の感覚で本の魅力を伝えるのは好き。でも、分析したり、深掘りするのは苦手。私の知識は浅い。無駄に広くて、浅い。でも、言葉は好き。どんなものより感動するし、何度も救われてきた。でも。
こうやってひとりごと言ってるくらいが私の性に合ってるのかもしれないな、なんて思う。誰かが聞いてるかもしれないし、誰も聞いてないかもしれないけど、私がお、いいなこれ、面白い、と思えること。
人生においてのすべてのことがしっくりくることなんてないと分かっているけど、やっぱり、しっくりくるところで生きていきたいじゃない。
考えすぎて、空回りからの堂々巡りという不健康なループに入ってきちゃってるので、こういう時はなんか違うことした方がいい!スカイダイビングでもやってこようか。
今日は世界パスタデー。(私の広くて浅い知識が役に立つ、時もある)