私が選んだ介護というおしごとについて


私が介護をしごとに選んだ理由


幼少のとき、私の同級生にAくんという知的障がい児がいました。彼は私のことを気に入ってくれていたようで、中学卒業まで挨拶を交わしたりすることができる友達でした。

一緒に同行してくる母親も私のことを気に入ってくれており、いつも私に対して優しい言葉をかけてくれていました。

社会人になってもスーパーなどでAくんのお母さんに会うと、「Aはあなたのことだけはずっと覚えていてね、●●ちゃん。。。と言ってるのよ〜」って教えてもらっていました。

そんなAくん、私が2人目を出産し子どもが保育園に入るときに心不全で亡くなったことを知りました。

私が介護という分野をしごととしてやっていこうと語るためには学生だったころまで遡らねばなりません。

進学先で単位必須だったとある障がい児施設へ実習に行きました。Aくんと似たような障がいを持つ子どもたちがたくさん入所しており、そこでいろいろな子どもたちと一緒に夏休みの期間の約1ヶ月ほど過ごしました。

主に実習の場にでてくる子どもたちは知的障がいとダウン症の子どもたち。脳性麻痺の子どももいたようですが私はその子どもたちとの関わりはありませんでした。

彼らはとても素直な心を持っており、自分の意志もしっかりと持っており、見た目が違うということだけでなんら普通でした。

とにかく素直でとてもかわいい、女の子はおしゃれを意識したり、男の子に恋心を持ったりと、本当に私と変わらないのです。

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ただ、そのときは福祉に関わる、介護に関わる仕事をするという選択はなく、会計業務に携われればいいな。。。ということで、地元の金融機関に就職しました。

結婚して自分が親になり、3人の子どもの母になり、義母の自宅介護6年経験しました。

認知症だった義母の介護は想像以上に負担が大きく、20代だったからできたことだと思います。


フリーランスから介護人へ

結婚して数年後、義父が脳血栓で他界し、義母の認知症が発症し6年在宅介護を経て特別養護老人ホームへ入所。子どもたちの育児を優先することを考慮し、フリーランスという働き方を選択。

収入は一定ではありませんでしたが、大きく稼ぐことができたときもありましたし、逆に収入がギリギリでということもありましたが、食べていくのに困るということはありませんでした。

ちょうど2019年夏、とある企業から請け負っていた仕事が徐々に減ってきていることでこれからの生活に対する不安がありました。

それから先のことも見据え、外に働きに出ようとバイト先を探しはじめました。派遣に登録し、運良く観光業の仕事に就くことができ、2020年2月までは本当に多忙な日々を過ごしていました。

観光業の仕事先から直雇用の話がでており、4月に契約してパートとして働くことがほぼ決まっているという状態のときにコロナが襲来。宿泊業には自粛要請というものが発令されたことで、雇用の話は保留となりました。

ほそぼそとやっていたフリーランスの仕事も3月には完全にゼロとなったことで、4月からの収入が皆無となりました。

タイミングよくとあるドラッグストアのオープニングスタッフの仕事が2件舞い込み、4月の収入の目処は立ちましたが、5月以降の収入がなくなる可能性がでてきました。


そんなときに見つけたのが介護という仕事。

無資格でできる仕事は限られているのですが、とある求人に目が止まり、それが2日間の研修を受けテスト合格すると勤務に入れるというなんとも魅力的でした。

しかし、すぐには決断することは難しい状態。そこで、観光業の方に今後の見通しなるものを教えてもらうと、どうやら6月くらいまではシフトがないかもしれないと言われたのです。

このままだと無収入になってしまう。。。という不安と葛藤していたのですが、背に腹は代えられない。。。という思いから、介護人として働く決意ができ、4月の研修を受け5月からアルバイトとして働きはじめました。






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