見出し画像

30才の誕生日に卵子凍結しよう


そんなキャッチコピーが当たり前の未来になればいいなと思う。
ハタチには成人式があるように、ミソジには採卵式があったらいい。


わたしは医療に関して全くド素人で、採卵のリスクを全て把握しているわけではないが、ヨソジにして不妊治療をしている身から言えることは「採卵は将来の可能性を広げる選択肢」として広く周知されるべきだということ。


人の生き方は多様だ。
やりたいことに年齢は関係ない、という。
しかし、卵子は待ってくれない、のだよ。


わたしが結婚願望ゼロで子どもを産むことを全くイメージしていなかったミソジ時代、あなたがキャリア優先で子どものことは成り行きに任せていたミソジ半ば時代、その時代にも確実に卵子は老化していた。
「ストレス」という名の毒を浴びてますます酸化スピードが進み、アラフォーになった頃には、もう新鮮な卵はない……かもしれない。


人の生き方は多様だ。
家族のカタチだって多様だ。
だけど消去法ではない、のだよ。


たまたま運命の人との出会いが35才に用意されていて、その人との子どもが欲しいと思った時がもう40才になっていたら、子どもを産む産まないの選択肢すら広げられない現実もあるかもしれない。


「産みたくない」から子どもを持たないのではなく「産めない」から子どもを持たないという選択肢しかない。


もし声が届くなら、
10年前のわたしに言ってやりたい。
「つべこべ言わず採卵しとけ」と。


なぜならこれはバックキャスティング。

もしも将来自分が子どもを産むというイメージがほんの数%あるならば、いや「ぜっっっっったいに産まない!」と言い切れないのならば、今できることは若くて新鮮な卵を凍結保管しておけ。


なぜならこれはバックキャスティング。
来たるべき未来から逆算して今できることをやれ。

現在に、その選択肢を与える価値観が広がればいい。

採卵なんて不自然な方法じゃないか!
卵巣が傷つくじゃないか!
体外受精は費用が高いじゃないか!
自然妊娠できる可能性だってあるじゃないか!
今はまだこんな声の方が大きくて「知ろうとする」ことさえ狭き門。


わたしはアラフォーで、不妊治療で採卵を7回して、治療のために休職をして、数百万円のお金が飛んでいって「何をやってんだろう……」という気持ちになることもある。

他の国では当たり前のように卵子提供のシステムが整っているというのに。


でもこれからはいつだってバックキャスティング。
わたしが暮らしたい未来のまちは自由に想像できる。
想像の中で動き始めたことは、今日の行動の源になる。
希望は捨てたりしない。


子どもを持つ希望ではなく「人生に納得感をもって進む」という希望。
数百万無くなっても死にはしない。それに本来「家族」とは「家によって結ばれた繋がり・共同体」のことを言うそうだ。
血のつながりが全てはない。

採卵するかしないかは自由。
ただ「そういう選択肢もある」のとないのとでは大きく違う。
未来のまちには、多様な生き方に対応した選択肢がますます広がることを、不妊治療の観点を例に願っている。

#暮らしたい未来のまち

ありがとうございます!いただいたサポートは執筆のお供のコーヒーと夢の肥料に使わせていただきます!