【エッセイ】最終章 トルコの友人 Dike 4.「感謝」

 何を見た、何をしたという観光の話は省くとする。 その代わりに、この滞在を通してした発見や、感謝の気持ちを記したい。

***

 結論から言うとOmarはこの4日間、ずっと運転手をしてくれた。 言葉数は少なくても常に優しく笑顔だった。そのオーラからして、あたたかく、穏やかで、優しさに満ち溢れている。 そして立ち振る舞いから賢さがにじみ出ていた。

2日目の夜暗く、若者で賑わう街を見せてくれるため車を走らせていたとき、途中で道に迷った。たどり着く手段として、ナビよりもまっさきに道行く何人もの人に声をかけ始めた。どこかの警備員や仕事中のお店の店員、子連れのお父さんなど、聞かれた方は驚きや嫌な顔は全くせず、知らなくても知っている限り多くの情報を絞り出そうとしていた。

 ― そこに着目する私は、そういう光景に見慣れていないということなのだが、それはごく当たり前の景色だろうか。私だったらまずはナビを使うだろうし、また見知らぬ人に夜道突然車から話しかけられたら、びっくりして相手の話には大して耳を傾けないだろう。

3日目の午後、まだ残した街散策を続行すべく、私は一人で再び街まで行った。 Dikeたちはラマダン明けが近いことから、母親のもとを訪れ、料理や買い物の手伝いに行った。 

 朝は時間があり、私とDikeはおしゃべりを楽しんだ。Omarはラマダン中なこともあり、朝食には顔を出さない。

 Dikeは私が最近どんなことをしているかを細かく聞き、別でこんなこともできるのではないかとアドバイスしてくれた。それから、彼女は半年前に喉の手術を受け、薬を飲んでいること、前の声とは変わってしまい、またその時期に最後のチャンスだった再びドイツでの勉強の機会を失ってしまったことに落ち込んでいた。それでも命があったことを考えると、大したことではなく、むしろそれを経て今ができているから結果として良いのだ、と考えられるようになったと話した。

 また、ラマダンのことからムスリム、それに厳格なアラブの家庭の話にうつった。彼女の男友達の話だ。もとは何事にも寛容な人物だったが、結婚がきっかけで自分の奥さんに厳格な決まりに従う生活を強いるようになったと語った。Dikeとしてはその友達よりも、問題はその奥さんの方だと言った。というのも、彼女はそれまでは縛られない生活を送り、アクティブな人間だったのだが、自ら選んでその籠る生活をするようになってしまった。今では一切会わない。Dikeにはそれがもったいなく感じ、信じられないのだと言った。(Dikeは女性の権利を強く主張する)

 ムスリム家庭の身内の強い結びつき、家族や伝統による逃げられない女性の運命。本人が望む分には良いが、そこに強制的な力が働くことは嫌いであると、はっきり言った。

 「イスラム圏に他に友達、もしくはボーイフレンドはいるか」と唐突に私に尋ねた。 以前この分野において自分の話をしただろうか、と少しギクッとした。

 私は女性も男性と同等の権利は主張するまでもなく当たり前のことであってほしいが、ムスリム家庭についてはあくまで中立の立場で(というのも、本人たちが望む限りは私がとやかく言うのはおかしい)、良い悪いは判断できない。と伝えた。

 さて話は変わり、Dikeは私のために中心地までの道のりを丁寧にメモに書いて渡してくれた。そもそも当初私は一人旅の予定であったから、移動手段を調べたり必要なことはマークしていた。Dikeは家からバスを使った行き方と、乗換駅、料金、帰りのバスの方面、もし途中のショッピングモールで降りるのなら(前日に私が尋ねたから)この駅で降りて、この方面に乗って、など必要事項余すことなく書き記してくれた。そして、「―駅まで行きたいです」のトルコ語も教えてくれた。

 午後、彼らは出発時間を私に合わせ、バスの乗換駅までわざわざ車で送ってくれた。車を降りてトラムの入り口まで案内し、さらには駅員に英語のアナウンスが流れるかを尋ね、あるから大丈夫だよ、と言って私を安心させた。

 バス利用にはイスタンブルカード(チャージ式ICカード)が必要なのだが、彼女らの自宅最寄り駅では購入できず、Omarのを貸してくれた。(実はこれ、帰りに空港に向かうバスでも必要で、それを知ったのは当日朝。私は借りても返せない、にも関わらずすでにたくさんチャージされたそのカードをDikeは私に渡そうとした。結局空港へは、シャトルバスが出ている途中の街まで時間をかけて車で送ってくれたのだが。)

 帰国日当日朝、昨晩街で感謝のために2人に贈ったケーキを、私にも試してほしいと切って分け与え、食べるよう促された。もちろんまた十分な具材でパンをいただいた後に。

 私は部屋の掃除、シーツなど洗濯物を下へ持っていき、最終準備をしていた。前日に購入した、お土産の靴やコーヒー、スカーフなどを詰め込み、バックパックはいっぱいだった。ようやくチャックを閉め、準備万端。 私は車で途中まで送ってくれることを知り、待っていた。

 Dikeはなにやら忙しそうだ。

 Omarが下りてきて、いつもの調子でおはようとあいさつする。 そろそろ出発だ。 彼は箱やペンを手にやってきた。

Dikeは言う。

「これはプレゼント、持って行って。これも、これも。」どこで入手したものなのか、置き時計やら大量のペン(後で数えたら7本あった)、またメモパットたちを渡された。

ありがとう。帰りがけに贈り物を持たせようと思ってくれたその気持ちに、心があたたかくなった。

 彼女たちの思いやり、優しさ、あたたかさ、親切さ、すべてに心の底から感謝した。

 しかし、問題が。

 それらを受け取ってバッグに入れたいのだが、もう入らないのだ。どうしても。空港でどうにか整理しようと考え、とりあえず新しい手提げ袋を取り出すことにした(航空券を安くするためにCheck-in荷物なしで予約した。ラップトップバックと別には一つのカバンしか持ち込めない)。

 さらにDikeは、これを食べて、と例のごとくたくさんのお菓子を袋に入れ、サンドイッチを二つ作り、彼女の母親から私にと受け取った、手作りのホールのパウンドケーキ半分、チーズ、ヨーグルト.. 待って。手荷物にはさすがに入れられない..。

「大丈夫。空港で食べるようにして。」 さらに、

「もうパンがないんだけど、空港でパンを買って、これを塗って食べて」

とツナの缶詰を袋に入れた。「すでにサンドイッチを入れてくれたし、ケーキもお菓子もあるからさすがに缶詰は大丈夫だよ!」の言葉は彼女の耳にブロックされ、さらに今度はヨーグルトの飲み物 ラクを作り始めた。瓶に流し込み、「ふたがどこかにいってしまって、ごめんね」とラップで頑丈にぐるぐる巻きにした。それをさらにビニール袋に入れて出来上がり。

 どっと一気に様々な感情と問題が生まれた。

 まず、私は例のように朝ごはんをたくさん食べたし、ケーキも提供されたし、お昼ご飯は実際もういらない。

 液体は機内に持ち込めない。ヨーグルトはセキュリティで捨てさせられる。缶詰もダメだ。

 彼女もCheck-in荷物の事情を知っているが、私が空港で全て平らげれば済む話で、問題だとは微塵も思っていない。

 最大の問題は、最初に言ったように、荷物が入らないことにある。

ー 大丈夫、おそらく空港でどうにか整理できる。

と信じて。

 何はともあれ、そんな自分のことばかり考えていることができないほど、私を占めた一番大きな感情は、彼女たちの私に対する全てのおもてなしへの感謝の気持ちである。何度言葉にしても、物にしても、足りないくらい目いっぱいに尽くしてくれた。

 感謝している。ありがとう。楽しい休暇を過ごせてとても幸せなんだ。


 車に乗り込むとき、Dikeはまたまた何かの袋を持ってきた。中身は私が使用していた室内履きのサンダル。

「Leaが来るために買ったものだから、ぜひ持って帰って使って。ドイツでも使うだろうから。」


 シャトルバスに乗るため、再びTaksimに着いた。 まだ見ぬOmarをどきどきしながら待っていた場所だ。 なぜか遠い昔のことのように懐かしく感じた。 Omarにお礼の言葉を述べ、握手をして車を出た。

Dikeはバス停まで一緒に来る、というよりも私より先に降りて、20リラ札を手に、バスの運転手と何やら話している。

 別れる時が来た。

「Dike、ありがとう。十分に感謝が言えないくらい感謝している。明日は家族で楽しい休暇を過ごしてね(明日はラマダン明けのお祭りである)。次に会うときはドイツかまたトルコか、日本か、どこでも、また会えるのを楽しみにしている。元気で。」

 彼女は、

 「なんの問題もないよ。こちらこそありがとう。楽しい時間だったよ。また会う日まで。」 そう言って先程の20リラ札を私の手に押し付け、手を振り走って行ってしまった。 最後の最後までこちらの心配をし、またお世話になった。

 ありがとう。また会う日まで。


***


空港にて。

 空港入口に荷物検査場が設置されていた。

 検査に引っかかった。


ー ツナ缶だった。


―end―

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