筆者の投資感
本ブログでは、基本的に「自分語り」や「自慢話」、「体験談」の類の内容を書く事は少ない。これは筆者がこれらの他人のポジショントークを「つまらない」と感じる性分なためで、他人が読んでも面白くないだろうと思っている。筆者は感情的ではなく、客観的で論理的に整理された文章が好きだ。
しかし、今年は筆者の投資感に多大な影響を与えた人物(筆者にとって身近な人ではない有名人の一人だが、本稿では個人の特定を避けるため敬意を込めて「師匠」や「氏」と書く)が他界された。氏について書くにあたり、今回は少しばかり筆者の自分語りをすることにご容赦願いたい。そして、何よりまずは謹んでご冥福をお祈り申し上げたい。
氏は主に書籍やネット記事を中心に投資情報を発信しているインフルエンサーの一人だった。筆者は日頃からこのような人物は「信用するな」と書くことが多い。当然、筆者も初めて氏を見た時は、投資の世界に掃いて捨てるほどいる「無知の嘘つき」の一人だと思っていた。しかし書籍を少し読んでみると、その内容は筆者のような王道嫌いの「理屈屋」が読んでも納得感があった。また、氏自身の体験談や経験談はほとんど書かれていない。客観的な情報を中心に内容が構成されていて、この手の投資本では非常に珍しかった。そこで筆者は氏の著書やネット記事について色々と読んでみた。やはり投資や資産運用本によく見られるポジショントークはしない方のようで、氏の理詰めで整理された硬めの文章がすっかり好きになった。氏は常々、「仲間は歓迎だが、信者はいらない。」と言っていたが、筆者を表す言葉があるとすれば「氏のファン」だろう。2022年ごろから体調を崩されていた事は承知していたが、この度の訃報は本当に残念だ。
振り返ると、筆者が初めて氏の著書を読んだのは2016年頃のことである。「人生を変えた本」というと少し大袈裟かもしれないが、「人生に大きな影響を与えた本は何だ?」っと聞かれれば、思い浮かぶ本が数冊ある。2016年の深夜にたまたま書店で手に取った氏の著書は、まさにそんな1冊であった。
筆者は当時、キャリアについて真剣に考えている時期だった。色々な選択肢を考えては調べ、試せるものは試し、失敗しながら必死にもがいていた。苦しい期間を過ごすの中、「お金があればもっと色々な選択ができるのに。。。」と考えたあたりで、自分の行動や選択がお金に縛られていることに気がついた。物事を判断する際、その中心にお金がある。お金があっても幸せにはなれないというが、ある程度のお金は手元にないと「お金がない」という強烈な事実が人生の選択肢を大きく狭めるようだ。実際はそんなことはないのかもしれないが、当時の筆者はそう感じた。
しかし、だからと言っていきなり仕事を投げ捨てて事業を新しく興すような「思い切り」と「行動力」は生憎、筆者にはなかった。そこで、巷で語られている収入を増やすためにできることは、副業も含めて一通り挑戦したが、いずれも頼りにできるような代物にはならなかったし、全く面白いと感じることができなかった。
そんな中で出会ったのが株式投資だった。(この話の流れだと怪しい投資話に引っかかる前振りのようだが、そんな事にはならないのでご安心いただきたい。)
筆者は生来の「勝負好き」な性格で、勝ち負けがハッキリ決まる事柄を好む傾向があった。勝負事は何でも好きだが、将棋や囲碁のような「実力100、運0」のような勝負よりも、パズルゲームのような「実力70、運30」くらいのバランスを好んだ。その点、株式投資は性に合っているように感じた。(実際の株式投資はこれより遥かに運の要素が大きい訳だが、当時は実力の関与する部分も大きいと思っていた。)
早速、色々な銘柄を買ったり売ったりしてみた。個別銘柄のPERやPBR、ROEといったファンダメンタル指数などを勉強して、銘柄ごとに指数を比較したり、配当利回りを熱心に調べては、その背景や要因について理解を深めようとしていた。非常に残念なことだが、当時はチャートの見方や、それが未来の株価に及ぼす影響についても強い関心があった。(今振り返れば、恥ずかしい話である)
おおよそ1年経過したあたりで振り返ると、収支は20%前後のマイナスだった。損失を出したことは自己責任なので仕方ないとしても、それ以上に「投資に費やした時間」が無視できないことに気がついた。「保有している銘柄の株価が常日頃から気になってしまう」という心理的影響も含めて考えれば、相当な時間とエネルギーを相場に費やしたことになる。「株式投資もダメか。。。」っと思っている中、深夜の書店で出会ったのが件の本である。
胡散臭い投資本が溢れている書店の中で、その本の主張には妙な説得力と納得感があった。筆者は購入した1冊目を読み終えると、すぐに氏の著書を遡って5冊くらい買ってきて一気に読んだ。読了時点で筆者は氏の主張にすっかり納得していたが、氏は著書の中で「投資話は全てを疑った方が良い。この本も投資本の一種なのだから、内容は疑ってほしい。」と自身の著書で強調していた。「自身の主張すら信用には値しない」という疑り深い考え方も筆者の価値観に近かった。筆者は念のため、その筋で有名な著書を国内書だけでなく「ウォール街のランダム・ウォーカー(バートン・マルキール著)」や「敗者のゲーム(チャールズ・エリス著)」などの翻訳書まで含めて、投資に関して正しい情報が書かれている(と思われる)著書を読み込んだ。
結果として、この時期を境に筆者の投資感は大きく変わることになる。現在の筆者の投資感は、この頃に形成されたものを基盤として現在まで積み上げられたものだ。
先述の通り筆者が氏を勝手に「師匠」だと思っているだけで、筆者と氏は「師匠と弟子」ではなく「著者と読者」程度の関係性である。しかし、そんな筆者も過去に2度ほど氏と直接関わったことがある。
1度目は、すでに他界した当時90歳近かった筆者の母方の祖父が、某財閥系の大手銀行の営業マンから、生命保険の営業を熱心に受けていた時のことだ。少し話を聞くと、高齢だった祖父に対して相続税対策と銘打って、保険の営業をかけているようだった。どうやら祖父も前向きだという。しかし、経済常識的に売る側が熱心なものが、買う側(顧客)にとっていいはずがない。そこで「保険の契約を考え直すよう祖父を説得せよ」と身内で筆者に白羽の矢が立った。
高齢とはいえ、元々聡明であった祖父を説得するために、筆者は作戦を考えた。「賢い人だったが流石に高齢である。絵や図で説明しよう。理解さえしてもらえれば、判断は正確な人だから大丈夫だろう。」と考えた。実際、膨大な相続財産を持っているケースで生命保険が有効な場合もあるが、そんな財産があるかどうかも怪しいし、仮にあったとしても売る側が売りにきている商品にこだわる必要はない。その点には確信があった。まずは営業を断る必要がある。
ただ、筆者は保険商品について、その仕組みを細かく知る「業界の人」ではなく、多少の不安もあった。保険には付き合わないのが正解という大原則は普遍だと考えているが、今回の目的は営業に前向きになっている祖父の説得だ。わかりやすく簡潔に「保険は不要」という事実を理解させたい。そこで、固有名詞などを伏せて今の状況と筆者が考えた作戦をメールにまとめて、氏が公開しているアドレスに相談してみた。ダメ元だったが、後日、氏本人から至極丁寧な返信を受け取ったことを今でも覚えている。それなりの長文で、以下が要点だった。
①相続税について考えていることを褒めること(何も考えずに亡くなり、後が困る場合が多いという)
②筆者の作戦で概ね問題ないこと
③その他、見落としている点への細かなアドバイス
氏の後押しを受けた筆者は、祖父に状況を説明し、祖父は営業を断ることができた。振り返ると、氏に相談しなければ筆者は①の話を祖父にしなかったと思う。賢いがプライドの高い祖父に折れてもらうには必要な一言だったのだろう。その後、筆者の背中を押してくれた氏に感謝のメールを送った。
2度目は金融庁が主催していた某イベントに参加した際、直接お会いした。以前、上記のメールを送った者であることを伝えて名刺を渡すと、印象に残っていたようで覚えてくれていた。祖父のその後の経緯や株式投資の話(当時は東証再編の時期で、東証1部が東証プライムに変わるなど、日本のインデックスについても大きな話題があった)など、イベントの開始時間まで色々と話をした。筆者は氏がそのイベントに参加することは知っていたので、件の本とサインペンを持参して「サインが欲しい」とお願いすると快くサインをくれたが、「その本(共著書)が私の代表作のようになっているのは少々不本意だ」と笑っていた。その当時の本は、紙の本を一通り処分した今でも筆者の在宅デスクに置いてある。著名人にサインをお願いしたのは、後にも先にもあれが最初で最後である。書籍はほとんどデジタル化してしまったが、この本は今後も処分することはないだろう。
それ以降、筆者が氏と会う事はなく、以前のように「書き手」と「読み手」という関係に戻った。その後も本が出れば買って読んだし、ネットのブログも読んでいた。今まで読めていた氏の文章が読めなくなるのは本当に残念でならないが、得た知識は不変である。氏の主張を忘れることなく、今後も相場と付き合っていきたい。