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2025年のジャーナリズム展望(岐路に立つ地方メディアと本当の「ファブ社会元年」)


あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。今年も「2025年のジャーナリズム展望」として、特に地方ジャーナリズムの将来像と、生成AI、3Dプリンターなどの新技術がもたらす可能性、そしてデータジャーナリズムが直面する課題について書き留めておきたいと思います。

はじめに

2024年は能登半島地震のフォトグラメトリ報道(日本テレビ)羽田空港の事故における3D検証(日経新聞)など、新しい報道手法の可能性がみられた年だった。特に、日本経済新聞による3D技術を活用した事故検証については2024年初頭にこのnoteで書いた「2024年のジャーナリズム展望」でも触れたが、その革新性が高く評価され、新聞協会賞を受賞するに至った。テクノロジーを活用した新しい報道手法が業界標準として認知された象徴的な出来事といえる。そして2025年、我々は更なる変革を求められている。

地方ジャーナリズムの危機と再生

地方紙の部数減少に歯止めがかからない中、2025年は地方ジャーナリズムにとって正念場となるだろう(毎年言っているが)。しかし、ここで注目すべきは、危機がむしろイノベーションを加速させる可能性である。地方紙各社は既に、限られた経営資源の中で独自の生き残り策を模索している。

注目すべき動きの一つが、複数の地方紙による技術共有プラットフォームの構築だ。高額な設備投資やシステム開発を単独で行うのではなく、複数社で共同運営する動きが本格化している。それに伴って、地域に密着したクラウドファンディング型の調査報道も増加するだろう。読者から直接資金を募り、地域の重要課題に切り込む調査報道を実施する試みだ。これは単なる資金調達モデルではなく、読者との新しい関係性を構築する機会でもある。米国では古くから盛んな取り組みだが、クラウドファンディングやSNSによる投げ銭文化はようやく日本でも定着してきた。複数の地方紙がプラットフォームを共有するようになると、課金システムも共有されるから、クラウドファンディング型の地方ジャーナリズムが活発化していくことが予想される。

生成AIがもたらす変革と課題

2024年に見られた生成AIの進化は、2025年にはさらに加速するだろう。その活用については、慎重な地方紙と積極的な地方紙に二分されるとみられる。ただ、人員不足を補うために編集局がAIに過度に依存すれば、現場の取材力が低下し、地域特有の文脈を踏まえた深い報道が困難になる。また、記者と地域住民との信頼関係が希薄化し、地域の課題を掘り起こす力が弱まる。さらに、若手記者の育成機会が減少し、報道の質が低下する可能性が高い。生成AIによる記事作成は、事実確認や責任の所在が不明確になるという法的・倫理的なリスクも伴う。このあたりのデメリットをいかに手当てしながら、AIを最大限活用できるか否かが問われる2025年になるのではないか。

3DプリンターとIoTがもたらす社会変革

2024年は3Dプリンター普及の転換点となった年だった。将来的に3Dプリンターは家庭用ファクシミリのように各家庭に普及する可能性が高い。なにしろ、オンラインで注文したものが自宅のプリンターで作れてしまうのだから、まさに”物質転送ファクス”みたいなものである。例え話をすれば、家具屋のサイトで気に入った椅子を見つけて注文したら、自宅の3Dプリンターで印刷するだけでその椅子が手に入る。お金を払って3Dモデルのデータをダウンロードするだけだ。そこには店員もいないし、配送員もいない。物流コストが発生しないという特性は、二酸化炭素削減にもつながる。3Dプリンターは一般人がものづくり産業に参入する道も拓く。ソフト業界ではアマチュアプログラマーの活躍は昔からあり、良質なフリーウェアが供給されてきた。後述するが3Dプリンタの登場で地方のハードウェア、ものづくり産業にもさまざまなアイデアがあふれ、新たな可能性が開けるだろう。

実はこうした社会を国も推進しようとしたことがあった。2015年の「ファブ社会推進戦略」(総務省・ファブ社会の基盤設計に関する検討会報告書)である。「ファブ社会」とは、個人や小規模グループが自分たちの必要なものを自由に設計・製造できる社会を指す。消費者が「作り手」としても参加できるようになり、ものづくりの民主化が進むと考えられている。このときは3Dプリンターが普及せず、今のような生成AIもなかったので、どうも時代が早すぎたようだ。しかし、ようやく役者が揃ってきた。2025年こそ「ファブ社会元年」になるのではないだろうか。いや、新聞業界としては2025年が本当の「ファブ社会元年」になると捉え、業界の未来に向けた先行投資をしてはどうだろうか。

3Dプリンターの普及で特筆すべきは、生成AIとの組み合わせによるさらなるIoT革命の可能性である。生成AIの発展により、電子工作や組み込み言語のハードルも劇的に下がった。これにより、一般市民でも3Dプリンターで出力した部品とIoT技術を組み合わせて、革新的な製品を生み出すことが可能になりつつある。例えば、地域特有の課題を解決するためのIoTデバイスを、地域住民自身が設計・製造するような時代が現実味を帯びてきている。

これらの変化は当然、ジャーナリズムにも新たな取材領域を提供する。従来のまちづくりや産業構造などの概念を覆すような変革が、各地で起きる可能性があるからだ。ジャーナリズムには、こうした最先端の動きを捉える視点が求められる。記者がアナログのままでは誰が取材するんだという問題が生じてしまう(いや、既に生じているような…)。これからの時代、最先端技術のニュースが載っていない新聞は、いくら地域密着のニュースにこだわっていようと、(地域自体がこれからさらに急速にデジタル化されていくのだから)淘汰される可能性があることを覚悟しなければならない。

データジャーナリズムが抱える構造的課題

2024年までのデータジャーナリズムは、全国紙や一部の積極的な地方紙を中心に一定の成果を上げてきた。一方で、個人的に感じている懸念がある。地方に行くほどデータの解像度や質が下がるという現実である。例えば、都道府県単位では得られるデータが、市町村単位では入手できないケースが多々あるし、データも統一性がなくて”汚い”場合が多く、信頼できるデータだけを揃えようとすると結果的に”スカスカ”なデータセットになってしまい、愕然とすることがある。この問題は、地方紙がデータジャーナリズムで成果を出すことを著しく困難にしている。それをどう工夫できるかが成果を分けるポイントになるという見方もできるが…。一方、気象庁がオープンデータ化している気象データは質・量ともに十分あるから、気象データを使ったデータジャーナリズムは2025年もさまざま成果が上がってくると思われる。

加えて深刻なのは、記者の統計学的知識の欠如である。データジャーナリズムは本来、統計学の基礎知識なくしては成立しない。相関と因果の区別、標本誤差の理解、多変量解析の基礎知識など、これらが欠如したまま表面的なデータ分析を行えば、重大なミスリードを招きかねない。管理職として俯瞰してみたとき、地方紙という限られた組織でなかなかデータジャーナリズムが定着しない原因の一つが、この基礎知識の学習コストの高さにあるようにみえる(実は他にも理由はたくさん思い浮かぶが、別の機会にする)。小紙の社会部では、私が数年前データサイエンティスト(気象データアナリスト育成講座)のスクールに通ったこともあり、今年から同じデータサイエンティストのスクール受講を決めてくれた部員がいる。会社としてこうした記者のやる気をどう支援できるかが問われるだろう(本格的な授業なので受講費は70~90万円と高額だが、厚生労働省の専門実践教育訓練給付金を申請すれば雇用保険から7割が返還される)。

新時代の記者教育

2025年はさらなる変化に対応するため、記者教育も進化が必要となる。しかし、すべての記者にプログラミングやデータ分析を習熟させることは現実的ではない。むしろ重要なのは、上述したような新技術をある意味現代の常識として適度に理解し、取材活動に生かせる記者を養成する研修を新聞社自身が内製できることだ。

具体的には、以下のような教育プログラムが有効であろう。

  1. データの信頼性を評価するための統計基礎講座

  2. 生成AIの特性と限界を理解するためのワークショップ

  3. 3Dモデリングの基礎と3Dプリンターの可能性を学ぶワークショップ

  4. デジタルセキュリティの基本講座(おまけ)

これよく考えたら商業高校とか工業高校の生徒なら学校でちゃんと学ぶ内容である。商業高校なら簿記や金融の授業もあるし。記者が苦手なものばかりだ。これからの記者研修は、商業高校とか工業高校にメニューを考えてもらうのも手かもしれない。結構真面目にそう思ったりする。

結びに:「ファブ時代」のジャーナリズム

2025年、日本のジャーナリズムは重要な転換点を迎える可能性がある。これまでのようにデータジャーナリズムなどのソフトウェア的なアプローチにとどまらず、3DプリンターやIoTなどのハードウェア領域への理解と投資が不可欠となる時代が到来するだろう。

特に地方紙には、地域のものづくりの変革を取材・報道できる体制づくりが求められる。そのためには、極端なことを言えば、自社内に3Dプリンターを導入し、記者自身が新しい製造技術を体験的に理解することも必要となるかもしれない。データの分析や可視化といったソフトウェア面での革新も重要だが、それ以上にハードウェアがもたらす社会変革を捉える視点が求められる時代となるだろう。ファブ時代になれば、新聞社として地域のものづくり産業に参画することも夢ではない。新聞紙というアナログ文化に干渉し、直接救いの手を出せるのはtangibleな(形のある)ハードウェアだけだ。アナログにこだわっている新聞業界だからこそハードウェアにも関心を持つべき、というわけだ。新聞業界がハードウェアに興味を持っていたら、今ごろ新聞を戸別配達するドローン配達網が生まれていたかもしれない。来るべきARグラスで新聞を読む時代に備えるためにも、ぜひ2025年は「ファブ社会における新聞像」を描くことに努める年にしたい。

テクノロジーの進化は、我々に新たな可能性を提供すると同時に、従来の価値観の見直しを迫っている。しかし、忘れてはならないのは、これらの技術革新は、より良い取材と報道のための手段に過ぎないという点だ。地域の課題を掘り起こし、解決の糸口を提示するという基本的な使命は、どれほど技術が進化しようとも変わることはない。


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