アサヒの挑発広告。キリンが屈した日。
どうも、蟹小麦です。
今日は、スーパードライが年間シェア1位に躍り出る直前期のお話をしたいと思います。
80年代なかば頃までは、キリンビールのシェアは6割を超えていました。
それはGHQが作った独占禁止法に触れるスレスレのラインでした。(なんとも恐ろしい…)
この頃のキリンビールは、キリンラガーという熱処理ビールで覇権を握っていました。
(ちなみに一番搾りは1990年に発売されます。)
それなのにその10年後の1997年には、
なんとスーパードライが年間シェア1位に躍り出るんです。
なぜそんな短期間でラガーの牙城を崩せたのでしょうか??
それは、アサヒビールがある挑発広告を入れたからだと推察されています。
1995年に出されたその内容とは、、?
広告の内容↓
【スーパードライ 生ビール売上No.1】
あれ、?まだNo.1になってなくない?
と思ったそこのあなた。
実は、生ビールとしては、1992年頃にはスーパードライが1位だったんです。
キリンラガーは、熱処理ビールなんです。
この広告を出されたキリンビール社内では、特に営業部の方々はプライドがズタズタにされたとされています。
まあ6割もシェアを誇っていたのですから、
まさか抜かれるとは思っていなかったのでしょうね。
ちなみに当時はマーケティング部と同じくらい営業部の影響が強かった、と言われています。
ここで、じゃあ何でそんな広告の内容でスーパードライが1位になれたのか?と疑問に思った方、鋭いですね。
ここからは、なぜアサヒビールがそのような広告を出したのか?
なぜ1992年に生ビール1位になったのに、
1995年にその広告を出したのか?
という部分を解説していきます。
元々6割もシェアがあったキリン。
熱処理ビールのキリンラガーは、絶対的な人気を誇っていました。
ということは、スーパードライが発売されたあとも、
「そんなコクが無いビールはビールじゃない!ラガーしか勝たん!!」
という揺らがない層がいたんです。
その層を崩さない限りは、アサヒビールのシェア1位獲得は難しかった。
逆に言えば、その層さえ崩せれば、
その層がキリンではない別のビールに移ってくれれば、
アサヒはシェア1位が取れる、という所まで迫っていたのです。
そこで何をしたか。
そう、さきほど紹介した【生ビール シェアNo.1】という挑発広告を打ち、
キリンのプライドを削ぎに行ったのです。
生ビールで1位なってから3年後に打ったのも、
この広告を打つ明確な必要性が生まれたからだと言えますね。
そうすることで、
「キリンは熱処理ビールであるラガーを、生ビール化するだろう」
と読んだのです。
熱処理と生ビールではほとんど違いはないですが、
やはりファンにとっては少しの差が大きく感じてしまいます。
この直後、実際にキリン社内でどうなったかというと、
マーケティング部では生ビール化する必要はないとの意見が強かったようですが、
営業部ではラガー生化の意見が強かったようなんです。
そのうえ、世間からの「キリンはラガーを生化する技術がないのか」といった声もちらほら。
もちろんそんな訳はなく、
実際に一番搾りは生ビールとして製造されています。
しかし、それでも営業部の影響が強く、
1996年、キリンはラガー生化に踏み切ってしまいます。
結果として、"揺らがなかったラガーのファン層"は味の違いをすぐに感じ取り、
ラガーからどんどん離れていってしまうことになりました。
そして、翌年1997年。
ついにアサヒビールは、
キリンの6割シェアを誇っていた時代の10年後に、
スーパードライ シェア1位を達成します。
いやー、凄い作戦勝ちですね。
実際には、その挑発広告が無かったとしても、
いつかはラガー生化に踏み切っていただろうと当時の重役は語ります。
というのも、先程申し上げた通り、
お客様から技術面を疑われていたからですね。
ビール業界の歴史は、本当に深いですよね。。
これだから、乱世はおもしろい。ココココココココココ
それでは。