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活動家にいらつく

ベルリンのとあるホテルの水槽が壊れた、というニュースがあった。それがどうしたとお思いだろうが、何せその水槽は巨大なシリンダー型で吹き抜けのホテルエントランスのど真ん中にありちょっとした名物だったのだ。そんな巨大な水槽が壊れたらとんでもない量の水と魚が流れ出し、大騒ぎになったのだ。宿泊客はたたき起こされて、ホテルのある通りは通行止め、というニュースだった。
 大変だなぁ、水槽の強化ガラスってどういう時にこわれるんだ?経年劣化で壊れたと言っているがその水槽はそう古いものではない。他人事でテレビを見ていたのだが、あるコメンテーターが水槽からあふれた魚はたくさん死んだ、本来、魚は水槽でなく広い海で泳ぐべきだ、と言い始めた。
出た!動物の権利!魚の権利か!
こういう事言い始める人が出ると、行きつく先は、魚食べたらかわいそう、というあれか。NO SUSHIか。私は魚が大好物だ。環境保護団体を敵に回しても、魚が食べたい。
最近ヨーロッパでは環境保護をうたいながら変なアクションをする人間がいる。スーパーで売り物のミルクをぶちまけてみたり、美術館の絵に張り付いて見せたり、意味不明だ。環境保護を訴えるのに、美術品にスープをぶっかける必要はまったくないし、コンサートホールでわめき始めるというのも迷惑千万だ。音楽というのは時間の芸術なのだ。集中の邪魔だ。
実は、先日うちの劇場の公演でも現れたのだ。ラディカル環境保護団体かと思ったらイランの政治体制を批判し始め、しまいにはウクライナまでもちだした。
更にあとから聞くには、その男がそれをやったのは初めてではなかった。過去にも数回劇場で政治主張をわめき始めてここ数年ずっと出入り禁止だったのだが、劇場の入り口がうっかり通してしまったらしい。要するにその人のやっていることは劇場で政治主張をわめいて目立つ、というパフォーマンスだ。ただの目立ちたがり屋だったのだ。そんなエゴのためにイランやウクライナを口にして目を引こうとするなんて、余計腹立たしい。
私たちヨーロッパの音楽家は非常に多国籍だ。ウクライナ人の同業者やイラン人の配偶者を持つ同僚、ニュースをきいて思い出す人が何人もいる。そんな日替わりの主張をしに劇場にやってくる人間よりよほど身近にある話であり、心をいためているのだ。あの手の主張に感じる違和感の正体は、自己顕示欲なのか、と嫌な気持ちになった。


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