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私たちはこの恋に名前をつけない

私には今、好きな人がいる。彼もまた私を好きでいてくれる。しかし、私たちは「恋人」ではない。こう言うと、他人様からはどうも私たちの関係が不穏な空気をまとっているように思えるみたいだ。そこで今回は、恋人でもセフレでもない私と彼の関係について話したいと思う。

|セフレってつまりどういう関係?

私たちの関係に名前はないと思っている。だがしかし、世間一般的に理解されやすい関係性でいえばそれは「セフレ」だ。でもちょっと微妙に違うとも思っている。それはセフレという都合のいい関係に成り下がっていることを否定したいという気持ちからくるものではなく、事実セフレという関係にはおさまらない深い関わりを持っていると確信しているからだ。

セフレは、エッチをする友達である。エッチをすることが目的とも言える間柄だろう。それでいて友達なのだから、お互いの面倒なことには首を突っ込まない。深く関わろうともせず、体だけを求め合う。それが俗にいうセフレだ。

私はそもそも、セフレを作らない主義だ。たとえ目の前の相手をどんなに好きであっても。相手が私の体にしか魅力を感じないわかった時点で、私のほうから去ってく。セフレに甘んじるくらいならば、エッチなどせず友達でいればいい。そういう割り切りはできていると自負している。

なので世間一般的に見れば私たちの関係はセフレであるが、私の価値基準からすれば彼はセフレではない。


|セフレではないと思える具体的な理由

じゃあ世間一般的なセフレと自分らがそうじゃないという、その具体的な違いがなんなのかってことだ。分かりやすく今の二人の日常的な習慣を箇条書きにした。

・エッチをする相手はお互いのみ。
・毎日、電話・LINEをして繋がっている。
・お互いの悩みに満足いくまで付き合う。
・休みの日は優先して相手との時間を作る
・良いことも悪いことも共有する
・相手への愛する気持ちを伝え合う

これらは二人でこうしようね!とルールを決めているわけではなく、自然とお互いがそうしたいと思ってしている習慣だ。世間で言われるエッチすることが目的のセフレ関係だったなら、こんな面倒くさくて相手に縛られるような関係は御免だと思うのではないだろうか。彼は私の恋人ではないが、彼が私にしてくれる行動は全て私への深い愛情があってこそと理解できているから、今の関係になんら不満はない。

|恋人でもセフレでもない関係って?

「それじゃあ、なぜ付き合わないの?」と思うことだろう。それには、そうしない理由がそれぞれにある。

私は現在バツイチである。バツイチとなったことで恋愛に対して深く思う部分があった。それは、関係性に名前をつけると相手を純粋な気持ちで想えなくなってしまうという不安だ。たとえば彼は今日から私の「恋人」と決めると、それまでは何とも思っていなかった彼の行ない、発言などが気になるかもしれない。

前回書いたこの記事でも伝えたが、関係性に名前をつけると相手に対して“それらしい振る舞い”を求めるようになってしまうのだ。私が意識してもしなくても、そうなってしまうことが怖い。

彼は彼で「恋人」を作らないことが今できる自分のケジメだという。彼の人生を勝手に深く話すことはできないが、彼は一度人生における大きな失敗を経験している。若くして全てを失ってしまったという大きな喪失感を持っている。

今はそこから這い上がって生きようとしていることで精一杯だという。それでいて元来真面目な性格から自分が付き合うと決めた女性は、自分の生涯をかけて守っていく覚悟がないと付き合えない。好きという気持ち一つで関係性を構築できないと彼はいう。「まずは自分の態勢を立て直したい。だけどアナタの年齢から考えれば、それまで待っていて欲しいとも言えない。だから付き合わないし、アナタは恋人ではない。今後どうするかは全てはアナタ次第だ。」表現はたどたどしくも、こういうことを真剣に伝えてくれた。私にはその言葉だけで充分伝わった。

もし、私が結婚経験のない独身だったとしたら。おそらく彼とこういう話をした時に別のパートナーを探そうとしたかもしれない。でも、今の私には守るものなど何もない。私も離婚を決めた時に「この先、生涯独身で生きていくこと」を覚悟していた。今更、再婚や出産を視野に入れた恋愛をしようなど微塵にも思っていない。

私と彼は今、お互いに好きという感情は持っているけれど、恋人になるという選択をしない。そういうニーズが合致した。無理をして都合のいい関係になっているとも思っていないからこそ今の二人の関係が成立している。


|名前をつけない恋こそ究極の愛のカタチ?

これは私が希望的観測を持って伝えたいことなのだが、男女の関係に「恋人」や「夫婦」という名前をつけないでいることこそ、究極の愛を育むことができるのではないかなと思う。いや、ぜひそう思いたい。

たとえば先に伝えた私たちが日常的に作っている相手との習慣。これは「恋人」だったら言わなくてもやるべきだよね?という価値観が芽生えないだろうか?「恋人だから、お互いにお互いが特別なのだから、毎日連絡して当たり前でしょう!?」どこかでそういう奢りともいえる考えを持つことにはならないだろうか?

私は恋人になった相手には、毎日とは言わなくても連絡はちゃんとして欲しいと思うし、そういう権利が私に与えられたとどこか無意識に思うだろう。関係性に奢るかもしれない。

でも、私たちにはその権利がない。毎日連絡する権利も義務もない。だけど、毎日連絡するのは他でもない。ただ、好きだから。だから今日、連絡くれたことにも感謝をしている。一緒にいてくれる時間に感謝をしている。明日いなくなってしまうかもしれないから、後悔がないように愛情を惜しみなく伝えるよう努力する。

相手にとって居心地の良い愛情を必要な分だけ与え続けようと純粋に思えるし、相手がどんなに何かをやらかしても、私が彼をとやかくいう権利もないから否定も批判もしようとする気にならない。もしかすると、人を愛するというのは本来そういうものなのではないだろうか。

恋人、夫婦という特別な名前をつけるから、特別にされて当たり前だと思ってしまうのかもしれない。となれば、その名前を取っ払った先に二人は二人のままでいられるのだろうか?そう思うと、その辺の恋人よりも私たちは名前がない分、お互いの気持ちがより強固になるのではないかなとすら思える。ただ、これはもちろん、あくまでもそうであればいいなという希望を踏まえて言いたいことだ。

|私が描く理想の未来

私は今のところ、彼とこの先もずっと一緒にいられればいいなと思う。そうであるなら極論、恋人や夫婦という関係性を持たなくてもいいとも思う。しかし、個人的な希望をいうならば、私は夫婦という関係性に奢った結果、一度結婚を失敗しているから今度は「絶対この人なら大丈夫!」と確信を持った上でもう一度、夫婦に挑戦してみたいと思う。ちょっと矛盾もしているが、そういう気持ちも多少ある。

今度は逃げずに向き合い、どんな時も奢らずに相手を想う。それは今、関係性に名前をつけないからこそ出来ている話であって、また私が彼と結婚するようなことがあって二人が夫婦になった時、一瞬にしてそれが崩れるかもしれない。

でも、夫婦になってもならなくても。私と彼だったらどんな時も、お互いを支えられる関係性を構築できる。そう深く実感できるなら、いつどんなタイミングでどんな関係性になっても、それが正解としか思えない。そうであればいい。


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