見出し画像

雨と静かな休み時間:You’ve got a friend【760文字】

時々、どうしようもなく塞ぎ込むことがある。
こういう時は、残念ながら人の期待には応えられない。
いろんな役割の仮面を外して、誰にも会いたくなくなる。
ひとりになりたいのだ。
ひとりになることと、ひとりぼっちは違う。

ひとりで好きな音楽を聴きながら(時には聞き流しながら)ボーッとするに限る。
外が雨だとなお良い。
なぜなら、雨を理由にやらなければならないことを減らせるから。
休む理由に「雨が降っているから」と言い訳するのは、子どもの歌「南の島のハメハメハ大王」のようで贅沢だ。

それでも、時々私の心のドアをノックするのは、「言葉」だ。
誰かの言葉。
それは過去の記憶で、自分の心の深い部分に触れた人の言葉。
繰り返しひとりの人のことを思い出すこともあれば、何人かの人を思い出すこともある。
本当に“私自身”を気遣ってくれた人。
私を役割上、利用しようとはしなかった人たち。

「結婚相手はひとりしか作れないけど、“友人”は好きに何人でも作れる。」
そう言った人がいた。
お互いにテーブルを挟んで向かい合って、同じカップを手に、同じシングル・オリジンのコーヒーを飲みながら、私たちはそれぞれ自分の家庭生活を振り返った。
優しい夫、大切な子どもたち。
その一方で、途切れてしまった“友人”との時間、趣味の時間。

そして、蘇る記憶。
家庭生活から解放された時間を過ごした行きつけのカフェで、ある人とテーブルを挟んで座っていた私。同じテーブルに他にも人はいたのに、飽きのこないシンプルな白いカップでコーヒーを飲む私と向き合い、何気ない言葉を交わした後、私とは真逆で華やかなデザインのカップ&ソーサーで紅茶を飲む相手の表情。
二人の間に流れたしばしの沈黙と私の心に生まれた疑問。

「“友人”は大切だよ。ある意味では、結婚相手よりも。
家庭だけに縛られないで。人生は長いのだから。」


「エッセイと創作の間」短い記事を作成しました。フィクションを取り入れ、対比の物語要素を取り入れてみました。
秋は、豊かなひとりの時間を過ごせる季節ですよね。
妄想哲学者の#山根あきらさまが主催する#青ブラ文学部で、#ひとりぼっちのお題で、初投稿しようと考えていたところ、すでに締め切り(#2024_10_20)を過ぎてしまっていました…。時空が歪んでいますが、「エッセイと創作の間」の記事に昇華して、noteにひっそりと置いておこうと思います。

いいなと思ったら応援しよう!

Ladybug
もしお気に入りの記事がございましたら、サポートは大変ありがたく受け取らせて頂きます♪創作のエネルギー、心の糧として使わせて頂きます♡