時には昔の話を
タイトルは拝借したものの、紅の豚とは全く関係ない中身となります。
でも「紅の豚」は好きです。マダム・ジーナ美人…
「さくらんぼの実る頃」での加藤登紀子さんも艶やかですが、エンディングのこの曲は心に染み込んでくる感じですね。
子どものころは何とも思わなかったけど。
さて、本題。
先日から4本、ショートショートを書きました。
・ひとりの男
・住み家
・逢瀬
・三者三様
少しだけ変化した「今までとは異なる」世界です。(あえてアフターコロナとかは言わない)
今回はウイルスだったけど、多分ちょっとしたことで世界は変わる。
ブラジルで蝶が羽ばたいたらテキサスで竜巻を起こすように。
風が吹いたら桶屋が儲かるように。
そして、激変するようでいて思うほど大きく変わらない。
けれど、どこかで人の意識を変える。
そんな「少しだけ」変化した「日常」を書きました。
なのでオチもないし、大きな転換も事件もなし。
淡々と短い文章は終わります。でも日常は続く。
個人的に「大きくは変わらない」ってのが良くも悪くも鍵だと思っています。
些細なきっかけで世界が変わるほど足場は不確定なのに。
人は慣れるし油断するし、収斂進化に頼るには寿命が長すぎる。
そこが愛おしくもあり腹立たしくもある訳ですが。
エジプトのミイラにも痘跡が残るという天然痘。
根絶宣言が出されたのが1980年ですから、ウイルスってのは厄介です。
しかし、その間にも人の営みは続き、なんてことのない日常がそこかしこに溢れ、ちょっとしたことで泣いたり笑ったりする日々があります。
ほんの少し距離を取ることと、人との関わりを断つことはイコールではありません。
もしかしたら、見過ごしていた「大切なもの」に気付くかもしれない。
窓から見える景色を描くように、身近なヒトコマを草稿に収めてみました。