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夢日記『蜘蛛男の妹』2024/3/10

奇妙なホールにいる夢を見た。高天井で、四方の全ての壁に階段型の舞台がある。ワイヤーアクション可、舞台背面にそそり立つ2階分ほどもあろうガラス張りの壁の後ろには作り込まれたディスプレイがある。そのためか、舞台壁面の装飾はそれなりに簡素である。
客席はなくあたりは立ち見の客ばかり。蜘蛛男が天井近くまでするると持ち上げられていくのを見ながら、あちこちで感嘆の声が上がるのを聞く。
私も客だったはずなのに、ふとこの後のシーンに出なくてはならないことに気づき、舞台裏に入った。開きっぱなしの台本がそこらの机の上にうっちゃってあるのを見つけ、自分の出番を探したところ、たった今始まった次のシーンのト書きに私の役名がある。もんどりうって倒れ込むように指定のハケ口から飛び出したら丁度私の台詞の始まるところであった。台詞なぞ数年前にどこかの夢で覚えたきり、覚えちゃいない。だが、きっと知っているのだろうから覚悟してシーンを繋ぐしかないと腹に決めた。目の前にいる中年の蜘蛛男はどうやら私の役にとっては兄らしい。ハケ口を洞窟に見立て、中にあったものの話を振られている。これは今後おそらくキーアイテムになる小道具の話だろうが、一向に正体が見えぬ。
「で、見つけたんだろうな。どうだった?」
下手を打てば芝居が崩壊する気配を感じとった私は咄嗟にしたり顔でこう答えた。
「思ったより簡単だった。知ってのとおり、目だけはいいもの」
兄は奇妙な顔をした。まるでとてつもなく不思議な味の蟲をひと呑みさせられたような顔だった。まずったな。冷静にそう思うが、出した言葉は引っ込みがつかない。
「そうだろうな」
長いため息の後、やけに皮肉めいた言い回しで苦笑した兄に急かされてシーンの終わりを知る。よく分からないが何とか繋げたことはわかった。気まずすぎる。素知らぬ顔で先程の台本のところに戻ってみると、2シーン先がまた兄との出番であった。そのト書きに「娘、視力のない自分の眼を揶揄し」と書かれている。しまった、と思った。先程めちゃくちゃ兄をガン見してしまったではないか。気を取り直して次のシーンは目の焦点を合わせずに板に出た。
兄役の男と平土間の客とが心配そうにこちらを見ている。先程のは目が悪い設定を上手く演じられない大根役者だったということにすれば明瞭に筋は通る。だが、突然あきらかに目の焦点が合わなくなればその言い訳も使えない。相当具合が悪いか、台詞はおろか設定まで二階席の彼方に吹き飛ばした大馬鹿者かのどちらかであることが客にも明々白々である。当然、後者に関してはそんな役者がいるわけないので客は混乱するだろう。突然、演技力が上がった人になってしまって非常に申し訳ない。だが、台詞を覚えていない以上、私に出来ることは何もない。ここでオリジナルストーリーを作って辻褄を合わせてもいいが、話の全貌すら分からない身だ。一体どうしろというのだろう。開き直ってあたかも今までずっと盲だったかのように振舞った。
「盲は退屈かい」
兄が問う。
「どっちかと言うと五月蝿いかもね。」
妹が答える。
「何を聞いて何を聞かなくていいか、選ぶ余地がないんだもの。まあ、別に不自由しちゃあ居ないわよ」
「まあ、選ぶ余地って言やぁそれまでだ。こちとら選ぶ余地なくなんでも視界に飛び込んできやがる。不自由もそれぞれ好きずきだろうな。少なくとも、こういう時の獲物の顔を見なくて済むのは儲けもんだ。なあ?」
「さあね、見たことがないから。どんな顔が想像もつかない。」
本当に想像もつかなかった。果たして、獲物とはなんだろう。顔と言うからには人間か、はたまたそれに類するなにかだろうか。
ちろり、焦点が合わないなりに横を見ると、兄が何事もないようにこちらを見ている。いつもの穏やかな笑みと、心配そうに下げられた眉。その向かいの席に、上半身を丸ごと食いちぎられた少年が足をぶらぶらさせていた。断面から血がどくどくと溢れ出す気配。驚くべき光景に、兄は食人をせねばならない身なのだと、その時はじめて気がついた。まったく、台本は読んでおくものである。

夢日記 2024.3.10

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