ボトルメール
ボトルメール。
それは、海や川に流れ着く、誰かに宛てた手紙。
ボトルメールを拾ったことがあるだろうか。
これは、実際にあったようななかったような、
拙い記憶の話。
ある日、いつものように家から数百メートル離れた海岸に行くと、いつものようにゴミやら流木やらシーグラスがあった。
本来、子どもだけで海なんて行ってはいけないと言われるが、家の人に行き先と帰宅時間を伝え、子どもだけで海に行くことがあった。
いつも通り汚い海だな、なんて考えていると
ふと、いつもは見かけないものが転がっていた。
汚れたペットボトルには、稚拙な文字でマジックで何かが書いてある。
中にはクシャクシャになったノートの紙が入っていた。
これは、もしかしなくてもどこかで聞いた
「ボトルメール」というやつだ。
流行りのポータブルゲームに出てきたかもしれない。
それとも、小さい頃に親に読んでもらった絵本の内容かもしれない。
海特有の匂いを漂わせているので触るのを少し躊躇した。
しかも、近ごろ外国からの危険なゴミが流れ着くというではないか。
触ってはいけない、と頭では理解していた。
しかし、本当に実在するんだという感動と好奇心の方が勝って、意を決して触った。
開けてみると、
『どこかの誰かさんへ
この手紙を見ていますか?
届いているとうれしいです。
拾ったら、お返事ください。』
と書かれていた。
この子も、自分と同じくらいの小学校中学年くらいだろうか。
女の子かな。
この子も、ボトルメールに憧れていたのだろうか。
ずっと向こうにいつも見える、佐渡島から流れてきたのかな。
そんなことを考えて、本当に、本当にボトルメールってあるんだとまた感動した。
そして、家に帰って早速手紙を書いた。
自分も同じように罫線が入ったノートを便箋に、
ペットボトルを封筒にした。
もちろん、すぐにボトルメールとわかるようにパッケージラベルは外した。
内容は覚えていない。
しかし、手紙をくれたどこかの誰かに届くといいなと思って書いたのかもしれない。
それか古に流行ったチェーンメールのように
違う誰かに届くように願ったのかもしれない。
今思うと立派な不法投棄で笑ってしまうが、
当時はケータイなど持っていなかったし、
宛先のない手紙なんてロマンチックじゃないか。
子どもの好奇心を潰してはいけない。
後日、親にも言わず、ボトルメールを拾った海岸にまたこっそりと行き、”返事”を出した。
ポスト代わりの、海へ。
海の上を滑るサーファーみたいに華麗に波間をすりぬけながら、手紙は上手に運ばれていった。
遠く遠くへ行きますように、とその様子をワクワクしながら眺めていた。
その後、ボトルメールを拾うことはなかった。
ボトルメールを拾ったという話も一度も耳に入らなかった。
あの手紙は誰かのところに届いただろうか。
それともまだ海の上を揺蕩っているだろうか。
遠い記憶が、寄せては返す波のように、
十数年の時を超えて運ばれてきた。
終