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君へ

「明日の朝には日差しが降り注ぎそうです」
昔からラジオ派なのだが、テレビよりコンパクトに伝えてくれるのがよいなと思う。そうか明日は晴れるのか。入院のギリギリに詰める用の荷物をまとめる。
明日入院して、明後日産んで。
計画的に入院出産するのは準備をする上でラクだし、ましてや上の子がいればなおのこと需要が高いと思う。
一人目の出産のときも計画無痛だったのだが、人間の体のことなので仕方ないが計画どおりにいかないわ無痛でもないわでさんざんだった。(過去記事がどこかにあると思う)
予定より早く陣痛がきて、夜から麻酔を入れてもらったものの効いてほしい場所に効かず、かなり麻酔を追加してもらいながら産んだものの、回旋異常があったことが最後の最後でわかり、後から労われて釈然としなかった。
しかしまあ前回がこの感じなので今回はかなり警戒していた。母にも「今日は同居人がいないので何かあったらよろしく」と諸々の注意事項と共に細かく伝えると「大丈夫でしょ」と暢気な返事が返ってきて、なんの根拠もなく大丈夫だと思うんじゃないこっちのほうがまだ根拠があるぞと思ったりした。

振り返ると「覚悟していたこと」に関して肩透かしを食らうことが多かったように思う。
一人目が欲しいなと思った時は妊娠するまでにそこそこの時間と努力を要した。そのため「まあ長い目で、これくらいまでの期間は頑張るか」と二人目を考え始めた途端ぽんと妊娠が発覚した。つわりも落ち着いたころ、「前回は食欲がすごくて体重も増えまくったからコントロールしなくては」と覚悟を決めていたのにあまりお腹がすかず、目標の増加幅におさまった。
予想外に悩まされたのが前回は気にならなかった腰痛やメンタルの不調、強い倦怠感だった。

そこに最近になって追加されたのは、胎児の成長だった。
子どもを預かってくれる人の日程を優先した結果主治医を特に決めず、先生何人かに見てもらうことになったのだが、後期にお世話になった先生が非常に丁寧な先生であった。初期からずっとほかの先生方にも「小さめだけど、正常範囲内だから心配ない」と言われ続けていたのだけれど、2500gくらいあってもいい週数になっても2000と少ししかない我が胎児のことをずいぶん心配してくれた。
素人としては「お母さんはそんなに心配しないで」と言われたって「呼吸機能が心配ならNICUの可能性も」「お腹で育てるよりもこれ以上待っていたら高血圧になる可能性の方が出産時が危険なので早めに分娩」なんて言われたら心配直撃である。胎内での発育がこれ以上望めないと高血圧や尿蛋白が現れるそうなのだが、後者の所見があったため先生の読み通りになってしまった。(※あくまで私の聞いた話なので該当する方はエッセイとしてとらえてほしい)

実家のストレス、初期~中期の倦怠感を引きずりながらの子の世話ができず1杯のカフェインに救われ続けたこと、色々と後悔も多く、明日入院という今更になって「小さいのには要因があるのでは」とか「生まれてきた姿をみてほっとする以外の何かがあるのではないか」とナーバスになった。しかし私にはもう胎児と神を信じるしかない。経過全体をみれば綺麗な右肩のぼりの成長をしているし、胎児の重さ以外に指摘はなく、上の子よりも腹を蹴って主張が激しい。仮に何かあったとしても、やれることをやるしかない。

正直、一人目の時のように穏やかに胎児に思いをはせることができず、思いをはせると言えばマイナートラブルやリスク、今後の生活を考えるばかりで申し訳ない妊娠期間だった。上の子のことばかりで、「二人目はラク」だの「この性別はこう」だの「二人目は出産も早い」だのジンクス程度のことをたくさん聞いても愛想笑いで「そんなん当てはまらないことだって多いだろ」と心の中で跳ね除けながら「上の子が育てやすかったから次はしんどいだろうなあ」とばかり考えてしまっていた。

小さな新生児服をみるとそれも薄らいで、ワゴンにおくるみを敷いてみるとより一層柔らかな気持ちになった。それも本当に後期のことだ。

「この遺伝子でよく二人産もうと思ったな」と兄に言われ
「二人目はお前にそっくりだろう」と「お前なんか要らない」と言った父に呪いをかけられ、
もって生まれた性格を超えるほど日差しを注ぐと思えるようになったのもまた後期のことだった。

自分としてもおそらく最後の妊娠出産なのだけど、私たちはそれを共有して、ほんの少しずつ忘れていって、だけど命が終わる時に思い出すのは2人を産んだ日なんだろうと思ったりもして、胎動を名残惜しく思う。


明後日の今頃には、もうきっと。どんな結果であっても。


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