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街路灯と艶紅と、それから

非常に久しぶりに、子を連れて実家に帰った。そんなに遠くはないのだが、父親との折り合いが悪く実家を避けているため、あまり帰れていないのだ。

二人目出産の入院に向けて、前回の里帰り中に実家に置いてきたものを少し回収した。これ別にそんなきれいにとっておかなくてもいいのにというものも綺麗に保管してくれているのが私の母である。捨てたと思っていたものが見つかったりした。

今回は里帰りをする予定はない。
近隣ではあるので送迎をしてもらって日中~夕方までは実家で休養をとり、夜間だけ自宅に戻る算段でいる。体調によるので今のところは。
なぜそんな面倒なことをするかというと、我が子が自宅ではスっと寝るが、逆によそで眠ることができないというのと、私自身が父と過ごす時間を少しでも短くして自分の家での時間を確保したいからだ。

妊娠発覚当初は一人目の時と同じく1か月ほど療養するつもりだったが、当時は父が働いていたので日中は母と私と子(とたまに兄や妹)だけで済んだのだ。今回は父がリタイア済なので、父と過ごす時間の長さを考えれば考えるほど眠れなくなった。私が夜にうなされることで同居人を起こしてしまったあたりで、代替案を考えることになり、この案になった。

私の入院中はどうしても子を実家に預けなければいけないが、これはこれで子を父に近づけたくないというのも大きく、これも不眠の原因のひとつだった。この年齢なら記憶は消えていくにせよ、「今」、子にストレスをかけることに私が耐えがたい。我儘なのは承知だし人によっては些末なこと、神経質なことと非難するだろうが、各家庭の闇というのは境界不明瞭で色もそれぞれ耐え難いものだから、他人と自分の境界は勝手にひいていいものだとしよう。

同居人はうまくいけば入院期間中に有給消化(育休はない)をできるかもしれないと提案してくれた。それなら子のことは安心だが、預かる機会が減ることを母が悲しみそうな気がしてまだ言えていない。ついでに自分もそのことでぬか喜びしたくなくて口に出せずにいた。
父からは遠ざけたいが母とは一緒に過ごしてほしい気持ちがあって、どうしても前者優先になってしまっていて、実家に時々帰るたび、母に申し訳ないと思う。

さて、探していたものは大方見つかったが一つだけ見つからないものがあった。小さい塗り薬を探している。実家には以前は泊まることもあったので化粧品のサンプルやホテルでもらったシャンプー等をまとめて置いていた。この辺にあるかもと手にとると、ふわりとユニセックスな香水のような香りがした。多分これは都内に仕事で行った時、なんやかんやでいいホテルに泊まる機会があった時のだ。貧乏性だからアメニティをもらってきたんだった。

他にもポーチや引き出しやら開けると「綺麗なお姉さん」の懐かしい香りがした。ヤニ臭いお姉さんが綺麗なお姉さんだったかどうかはさておき、今はサンプルをもらえるような高い買い物もしないし、そういうショップにもいかないのだ。今は今で不満はないのに、香りと記憶がどうのというよく聞く豆知識みたいなものは確かにありそう、と思った。
この香りが私の生活の一部だった。この香りを纏うに近い生活をして、それが私だったのか、なんて。

兄と遊んで時々私のもとに戻ってくる子が、私のマタニティワンピースで口を拭いて再び兄のもとへ戻っていく。(兄も父が苦手なので父がいないこのタイミングで帰ってきていた)「赤ちゃんのいい匂いがする」と真顔で言っていた。
私の服はよだれだの母乳だの食べこぼしだので汚れまくっている。香り以上に服は気にしないのだが、あの昼とも夜ともつかぬ、人の作った光のような香りを嗅いだ後のコントラストで、我が子の顔が非現実的なもののようにみえる。

2時間ほど滞在して、帰宅は母が車で送ってくれることになった。子を預かる話も少ししたが、入院期間に有休取ってくれるかも…とはやはり言えなかった。
母は話の流れで「必要とされている間は必要な分だけ力になるのが私のポリシーだからさ」と口走った。母からそういう話を聞くことはあまりない。父がいなくて母も少し気が緩んだのだろうか。「必要とされなくなったら去るのみっていうか」と母は普通のトーンで続けた。思わず「そんなこと言わないでよ」と冗談ぽくすぐに返した。
玄関前でふいに雨風が強まって湿った緑のにおいが広がる。それなのにあの香りがまた脳裏をよぎる。
母を必要としていた若い頃の自分は、あの香りのある人としてよそで生きていたのだ。必要としていたなんて気づかずに、一人で生きているかのように。必要とされている、必要とされて、必要。頭の中でリフレインする。今は本当に物理的に母に頼って、自分も子を産んで、母に対する気持ちは少し変わったけれど。若い頃の私の姿を、母はどんな風に思っていたんだろう。お腹の子は女の子の可能性が高い。母の追体験をする頃、それを話すことはきっとできない。
あれ、そんなことを母が少し前に言ってた気がするな。「おばあちゃんと孫ってこんなに可愛いばっかりなんだねって話したかった」って。


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