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過去世は超えていくもの~諏訪大社
昨日、諏訪大社に行っていました。
諏訪大社はいつか行くべき場所、とずっと知っていたけれど、
家族で行く場所でも一人で行く場所でもなく、
誰か別の人を伴っていく場所なのだ、という認識はずっとあって。
最近一緒に行くべき人が現れ、そのタイミングが来た、
と感じたので行ってきました。
宇宙は人間が考えるよりもずっと効率的で、
一つの事象を起こすことで幾つもの必要性を
そこで叶えるのです。
私が諏訪大社に行く意味も、そこに一緒に行った方が
そこに居合わせる意味も一つではなく、いくつかあるし、
今その意味が分かることも、未来に行って意味が分かることも、
また意味が分からなくても全体を考えた時に意味が分かることも
あって、そういった今ここだけではなく、全体、過去と現在と未来、
というなるべく宇宙と同じような広い視点で見た時に、
なんて多くの必要性を一つの事象を起こすことで宇宙は満たすのだろう。
ということに気づかされます。
このような緻密で必要性という意味で狂いのない運命の采配をとることは
まさに神様にしかできない仕事であり、それを見せられる度に
「宇宙」であったり「神様」であったりといった存在に感謝と崇敬を
覚える自分がいるから、「宇宙」と「神事」に真摯に仕えたい、と
自分は思うのです。
さて、話は逸れてしまいましたが、
この度のご用事のメインは諏訪大社 上社前宮でした。
私がここを訪れる一つの意味は
「過去世との統合」だったのだと思います。
諏訪大社 上社前宮は事前に調べてみると何やら
血なまぐさい儀式をしていたり、
私自身の過去世の記憶も神降ろしをする少年として、
見えない世界の仕事をすることを押し付けられたことに対する
恨みみたいなものを抱えた場所のようにも思えて、
行ったら嫌な気分になるのではないか?と覚悟していました。
けれども行ってみて、そこの場所を見てみたら
「あれ?怖くない・・・。」
懐かしい?というか、懐かしいよりももっと近しい感覚の
する場所でした。
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鳥居を越えて、最初に「神原(ごうばら)」と呼ばれる、
かつて祭祀の中心地でありミシャクジ神という自然神を降ろされた
現人神である大祝(おおほうり)の住まいや他の建物が
並んでいたというこの場所に足を踏み入れたら・・。
私の中から白い直衣を着た少年が走り出ていって、
その後ろ姿を見たような気がして。
「ただいま!」ではないけれど、
子供が午前中に学校に行って、その後家に帰ってきたかのような
感覚・・・。懐かしいとかではない。
ここを知っている・・とかでもない。
私の中のその子はここの子だよね・・・。みたいな感覚?
私が私の中の過去世の少年をお家に連れてきた、みたいな
感覚が一番近いでしょうか・・・?
過去世なのに私から別のものとして離れていった・・・?
その後、少し歩いた先にある本殿に行った時には、
「ここに祀られているもの、怖くない」という感覚を覚えました。
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この本殿の一帯は凄く凄く緑が濃くて、「自然の生命力」
みたいなものが強くて、ここが嫌いじゃないし、
自分と馴染むというのか、だってここにいるもの自然そのものだし・・・?
みたいな。
他の神社では感じない不思議な感覚と共に、
かつて過去世でこの地にいた自然神ミシャクジを降ろされる役をした自分も
実際は自分の見たビジョンよりも怖い思いはしなかったのではないか?
という不思議な感覚を覚えました。
諏訪大社は諏訪湖を囲むように4つのお宮があり、
どこも本殿は持たず、山であったり、木であったりと
自然そのものをご神体としています。
けれども、前宮だけは今は本殿があります。
かつては自然神であるミシャクジ神を少年に降ろし、
その少年を現人神として祀っていたお宮なのです。
これは私自身の感覚ですが、ミシャクジって本殿付近にある
強い自然の気みたいなものじゃないかな・・・と。
その後、家に帰って夢の中で?
その時の少年にこんなことを言われた気がしました。
「おまえはさ、俺みたいに役目だけに生きる人生じゃないんだろう?
人としての望みを生きる人生を持っているんだろう?
ならさ、思いっきりやりたいことをして、
お前の思う楽しい人生にしろよ」と。
過去世を見る意味は過去世の自分の持っているものを今の自分の
一部と受け入れると同時に、同じことを繰り返さず今世を
より良く生きるために活かすこと、だと思います。
私はヒプノセラピーを2回受けて、そこで3つの過去世を見るという
体験もしていますが、セラピストさんがしてくれた手法で良いなと思ったのは、「過去世の自分とハグし、過去世の自分からメッセージをもらう」
というものです。
そうすることで、何に気づくべきなのか知ることが出来る気がします。
過去世はヒプノセラピーを受けて見るのでも、自分で見る場合も
いずれにせよ見せてくれるのは自分の潜在意識なので、
今の自分に必要なことであり且つ今の自分が受け入れられるもの、
です。
せっかく潜在意識がそれを見せてくれているのですから、
その意味は?理由は?と考えます。
今回の諏訪大社訪問は
「役目を怖いものに感じていると同時にそこに振り回されそうになっている
私にもっと”自分を生きる”ことを大切にしなさい」と教えてくれる、
そのような意味があったのだと思います。
運命の采配に、感謝です。