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ベーシックインカムと「私の仕事」
最近、SNSを見ていたら「ベーシックインカム」であるとか、
「お金を得るために働かなくてよくなったら何をしたいですか?」
という話題?問いかけをいくつか見て・・・・。
この問いかけ、
「お金を得るために働かなくてよくなったらあなたは何をしたいですか?」
は私にとっては「仕事」を模索し始めてルクセンブルグでコーチングを受けた7年ほど前から度々、私の前にやってくる問いかけなのです。
当時は「ベーシックインカム」という発想はまだ世になかったのですが、
「ベーシックインカム導入後の世界」と
「お金を得るために働かなくて良くなったらあなたは何をしたいですか?」
はとても関連があるだろうな、と思って。
これについての今時点での自分の考察を書き留めておこうと思いました。
一番最初、ルクセンブルグで駐在生活をしていた折に
この問いかけをされた時、全く答えが出ませんでした。
なぜなら、そんなこと想定したことも考えたこともなかったから・・。
正直に「その問いの答えを持っていません」と言った
私に対してコーチは
「あなたはせっかく夫が駐在員で
働かなくても生活が成り立つ環境にいるのだから、
仕事をするのだったらお金をもらわなくてもやりたいと思えることを
仕事にしないと勿体ないでしょう?」と言われたのでした。
そう言われて、「確かに!」と思ったし。
実際その時まで、アメリカで3年半、イギリスで2年の駐在生活を
しており、最初の3年程は子供もいなかったので、正に
ベーシックインカム後の世界ではないですが、
「お金のために働く必要はない。(駐在員の妻はVISAの問題で現地で働くことは出来ないのです)しなきゃいけないことは殆どない。
ある意味、好きなことし放題。」
の生活だったのです。
けれども、こんな駐在員の妻としての生活って楽園かと言うと
そうではなく「暗黒」「苦しい」でした・・・。
何でそうなるかと言うと、理由は幾つかあると思うのですが、
働いていない、役に立っていない自分、稼いでいない自分になると
アイデンティティが落ちていきます。
駐妻は優秀な人も多いと思うのですが、現地で言葉の壁や
いつも通りに出来ていたことが出来ない環境に置かれて、
常に夫にしてもらう側になったり、自分で達成したり、やることが
見つからないと、自己肯定感みたいなものが落ちて行って、
「私って価値のない人間」「私は何もできない人間」みたいになっていって、鬱っぽくなります。
人って思うに、思いのほか外からもらう役割だったり、
「仕事」みたいなものからアイデンティティや自己決定する
要素をもらっているのだと思います。
だから、日本でベーシックインカムを導入しても
仕事を辞める人が沢山出るか?
は疑問だな、と思いますし、
きっと導入後に仕事を辞めた人も社会の中で「やること」を
探さざるを得ないのではないかと思います。
駐在員の妻だと大体現地について最初は現地を探索して、
新しい環境を把握して、という数か月が終わった後、
やることがなくなってメンタルが落ち始め、
「では、私はこの環境で何をしよう?」の模索が始まります。
せっかくだから買い物して趣味の習い事をして、
と過ごす方もいますし、
私は最初の駐在期間は今後も駐在があった時のために、と
めっちゃ英語を勉強してました(笑)
お子さんがいないご夫婦で日本でバリバリ仕事をしていた方は、
英語で出来るボランティアをされていたりしました。
この「私はこの駐在期間は何するの?」が見つからないと、
「私ってどうしてここにいるんだろう?」となってしまい、
メンタル的にやられてしまいます。
なので、駐妻として駐在期間を上手く乗り切るコツの一つとしては、
「現地にいる間、自分はどんなことをしようか?」とか
「何を得ようか?」なんてことを出国前にいくつか考えておく
ことだったりします。
ただ、こういうことも現地に行ってみると
想定と違っていたりして、変更をしなくてはならない場合もありますが、
要は人にとって「目的に向かって何かに取り組む」ということが
ないとメンタルが落ちて行って自分の価値が分からなくなるよ~、
ということの経験だったかな、とは思います。
私自身はベーシックインカム後の世界のような駐妻生活を
3回経験した結果、
自分は「誰かや社会のために何かできる自分であること」が
大事な人間だということをもう知っているので、
「お金のために働かなくて良いとして、それでも自分がやりたい事で
人に貢献できることって何かな?」を今まで生きてきた自分の軌跡と共に振り返っていて。
そんな中、私のお金をもらわない世界でもしたいことの一つは
「人とお話しさせていただく」ということかな、という答えを
見つけました。
人から勧められる形でセッションみたいなことを
させていただいてますが、その中で「人とお話しするのが好きだな」
という自分を発見すると同時に、そう言えば幼い頃から
「人の話を聞くのが好きだったな」と思ったのです。
幼稚園生だった頃から母のよく見ていた
「徹子の部屋」とか「ごきげんよう」だったりといった、
ゲストが自分の事について話すトーク番組が大好きでした。
いろんな考えや色んな生き方があるんだな・・・って。
人の数だけある世界の広がりを知るのが私の好きなことです。
ルクセンブルグの駐在期間は、
駐在3回目ということもあったし、
日本に帰ってからする「仕事」を意識して、
コーチのアドバイスも受けながら、色々なことを試しました。
オンラインで受けられるライティングの案件に取り組んでみたり、
翻訳をやってみたり。
私は英語を話す仕事をしたいと思っていたので、
駐妻のお友達で赤ちゃんを病院に連れて行きたい方に同行して
先生への通訳をさせてもらったり。
外国人のための日本語練習会にボランティアとして参加したり。
オンラインで「引き寄せのお話会」や
読書会のファシリテーターをさせていただいたり。
英語が喋れれば参加させてもらえるボランティア活動も
やったりしました。
これらの事ってちゃんとホロスコープにも出ていて、
英語関連は私の太陽のある9ハウスの事ですし、
人に対してコンサル的なこと、ご相談に乗ったりすることは
7ハウスドラゴンヘッド的。
「人の役に立ちたい」という気持ちからボランティアに
参加したりするのは11ハウスの山羊座に月があるから
かもしれません。
後は仕事ではないのですが、私は中学生くらいから
お料理することが好きで。
外国生活はもちろん、日本でも小さいホームパーティーというのか
手料理を作って自宅で人をおもてなしすることが好きだったりして、
「子供が巣立ったら誰かのためにお料理したいな~」とか
知り合いに子ども食堂でボランティアされている方がいて、
セッションが始まる前は一緒に参加させて頂けるようお願いしようか?
なんて思っていました。
こういうのは、シャドームーン蟹座的だったりします。
人の才能は幾つもあって。
それが「儲かるのか?」というフィルターにかけてしまうと、
「やりたいこと」というのとは異なってきたりしますが、
「生活するためのお金を得るために働く」と言う概念が外れれば、
もっとやりたいこと×やれる事で他の人に貢献できるという場が
世の中に増えていくのかもしれません。
ベースとしてのホロスコープを知ることはとても役立つことだと思います。
例えば、私はライティングの仕事を試してみたことがありますが、
すごく割りが合わなかったです。
常々思うのですが、私は「書く」よりも「話す」向きで・・・。
書くって3ハウス的だったり、水星が効いている人向けかな?と
私は9ハウスと射手座が強いので「話す」向きかな?なんて思います。
ただ、結局素養というのか才能は実地で試して、そこにあることを
実感して、どういう形だと上手く発揮できるのかを把握したり、
使った経験の幅を広げて育てていくものかな、と。
人から「あなたは○○が向いています」なんて言われても、
自分の中にそれができる、向いているという実感が無ければ
一気に仕事にしようという勇気ある方は少ないと思います。
才能の芽があることをホロスコープで確認しつつ、
今まで生きてきた中でそれが発揮されてきた記憶、記録を
繋ぎ合わせ、確認することをして初めてそれが実感され
自分の中に確実にあるもの、という自信になるのかな、と。
だから、これからの新しい時代に向けて
「自分の出来ること」「好きな事」「社会に還元できそうなこと」を
久しぶりに棚卸してみようかな?って・・。
自分というものだって、いつも移り変わっていくものだから、
結局自分が責任をもって自分の事を知ろうとし、把握して
合う場所を探していくことでしか、
自由さや快適さは得られない気がします。