万里の川

画像1 親子喧嘩のそのあとで、わたしは下の子に対して最低限の会話しかしないようにする。子どもといっても来年30になるのだが、いつまでたっても甘えん坊なのでわたしと同じ部屋で寝る。わたしが一階に布団を敷けば、夜遅くまで二階でパソコンに向かっていたはずの子どもが、朝わたしが目覚めると、隣で寝ていたりする。
画像2 ここだけ聞くと親離れ子離れ出来てない、と思われるかも知れない。下の子が7才のときわたしが鬱病の症状が顕現した。わたしは下の子に依存していた。小学生になった子どもは学校から帰ると、カバンだけ玄関に置いて友達と日が暮れるまで遊んでいる。毎日わたしの膝の上にのっかり、「お母さん大好き」と言ってくれていた下の子が新しい子どもたちだけの世界に走って行った。それはごく自然なことなのに、わたしは受け止められなかった。壊れたわたしに一番こころを痛めたのは下の子だった。
画像3 母親失格なのだろうけど、わたしは抑えがたい希死念慮に日々苦悩した。それ以上に幼い下の子に「お母さんが死んじゃう」という強迫観念を植えつけてしまった。だから下の子は始終わたしがいなくならないか見張っている。「何もしなくていいから自分のために生きてて欲しい」と。わたしが挨拶以外話しかけないようにしたら、子どもから何かとアプローチしてくる。でもわたしは子どもにだけでなくこのネット社会で発言するのにも、ものすごく気を使って発言せねばならないことが怖い。
画像4 そのくせわたしに対して辛辣なことばをかける輩は何を持って許されているのかわからない。値踏みされているのだ?親子関係に話を戻そう。夜具を並べて敷くとき、以前はぴったりくっつけていたものだが、わたしはその布団の隙間に距離をもたせた。そして子どもに言った。「この布団の距離はふたりのこころの距離をあらわしているのである」「そういう川あったな」「うん、ガンジス川」「聖なる河ねんけどちょっと濁って見える」「ワニもいるかな」その隙間にはワニがいるので落ちないように気をつけたい。

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