
#playgood 遊んで、いいことしたい。
雑談を大切にしています。『ザッソウ 結果を出すチームの習慣』という本では、報告・連絡・相談のホウレンソウから、雑談・相談のザッソウへ、シフトを提言しています。
先日、仕事きっかけで仲良くなった長年の知人と雑談をしていました。話していると、ふと言葉が浮かんでくることがあります。壁打ちに例えると、ちゃんとボールをとらえてくれるし、思わぬ角度からの打ち返しもあったりします。その効用でしょうか。
出口治明さんの大事にしている「人・本・旅」が、人から始まるのはよくわかります。自分としてはこの3要素に食を足して「人・本・食・旅」の4要素でいきたいなあと。余談です。
話を戻しますと、雑談をし終わって、時折その内容を文章にまとめています。「遊びだけど、いいことしたいよね」というテーマとなり、勝手気ままに話し合っておりまして、そちらのメモをnoteに書き残しておこうと思います。
#playgood 遊んで、いいことしたい。
ヒマを持て余す時代がくるらしい。そんなに仕事をしなくても、なんとか生きていけるかもしれない。お金はたっぷりはないけれど、時にはちょっぴり贅沢もできるかもしれない。でもね、そんなきみはじゃあ何に時間を使いますか?って、誰かに問われている気もするんだ。
スキマ時間を埋めることが、知らぬうちに目的になっている。意識のない時間。振り返って後悔する夜もあった。そう、人生が有限であることは間違いない。だとすれば、ぼくたちはこの有り余る時間を、どうやって過ごすべきなのだろう。
自分の人生をどこに充てるかが選べる時代。要するにね、余暇をどう過ごすってことなんだ。そりゃ遊んでるよって、ムッとした顔をする人もいると思う。でも考えてほしい。ちゃんと遊んだ経験って、実はそんなにないんじゃないかな。最後に疲れるほど、本気で遊んだ思い出っていつだろう?
意外にも、思い浮かぶのは仕事って人も多いのではないだろうか。ぼくはそうだ。本気で打ち込むような状態を“没頭”と呼ぶとして、ではなぜ、没頭できたのだろう。仕事は楽しいことだけではなく、辛いときだってもちろんある。でも、その仕事の先にある、世の中の誰かを笑顔にするっていう大義があったからこそ、人は思いっきり力を注げるんだ。
「仕事」と「遊び」の横。「人のため」と「自分のため」の縦。そんな二軸・四象限があるとしよう。「遊び」と「人のため」に注目してみるよ。実はここのゾーンはガラ空きなんだ。つまり何が言いたいかというと、遊びなんだけど、人のためになることって本当はあるんじゃないかな。
社会にとっていいことを会社がおこなう、ソーシャルグッドって言葉を最近よく耳にする。それが成立するのなら、遊びでいいことをする、プレイグッドがあってもいいはずなんだ。その場合、どんな遊びがあるか、ちょっと考えてみてほしい。
遊んで、いいことしたい。プレイグッドなことを体現して、世の中を巻き込んで、おもしろがってみたい。ワークライフバランスからワークアズライフへ、そもそも仕事と遊びは割り切れなくなってくる。
そんな生き方が主流となるいまだからこそ、遊びが仕事を凌駕するような、そんな世の中になればいいなって思う。
ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』ではないですが、遊び称賛・万歳で終えました。
というわけで以上です!
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