3月21日の日記
「あー いいですよ。もともと割れてたんで。」
蒼白して拾おうとしゃがみこむ私のところへ、作家らしき男の人の声が聴こえ近づいてきた。小さな陶器や陶片が無数に並ぶその空間の作品はどれも、小さな木の土台に危うく立て掛けられただけらしかった。そうと知らず作品の中から2つ選びとって持ち歩いていたところ、そのうちの陶片の作品を私は落としてしまったのだった。
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あることを一年越しで終えた翌日、鉛なのかなんなのか何かのかたまり…のような体でうちで寝る予定だったわたしは、窓の外で桜が雨に濡れているのが見えて、案外鉛でもない気もしてなんとなく外に誘われた。iさんに誘われていた筑後吉井の杉工場にも、15時半からなら辿り着いている気がする。耳納連山を眺めながら、電車に揺られる自分が想像できた。
-–耳納連山を眺めていた。降りるとはやかけんが使えない駅みたいで、お金を支払って証明書みたいなのを発行してもらった。工場までの特になにもないようにみえる風景を歩いていくと、雨あがりの湿った道で雨と杉のまじった匂いにつつまれた。杉工場の裏手らしかった。勘で歩いていたら、何とか正面の入り口まで来ることができた。桜の樹と小さな扉。
くぐってすぐに、いろいろな形の陶器と陶片の作品が目に飛び込んできた。耳納山の土で作ったものとそれが割れたもののすべてらしい。昨日聴いた「言葉の哲学」の余韻のなかにいたわたしには、どれもことばみたいにみえた。
それを作家の男の人に伝えると、コロナで会社に行かなくなって、それならぜんぜん違うことしてみようと、この一年一日中スーパーに買い物行くとき以外ずっと、手を使って作り続けていたという。
「まぁ独り言みたいなもの。」
もともと手を使うのが好きなのかとたずねると、生け花をするのだと話してくれた。
寺尾紗穂さんたちの音楽が演奏される工場に入ると、杉の匂いが体にうっすらと染み込んでくるくらい拡がり、空間を空けて席と席のあいだにいる陶器たちはいったいいつからそこにいたんだろうと、時間がわからなくなる。
湿度と温度により楽器の調音がむずかしいとお話しされていたけれど、その湿り気のある声と音が愛おしかった。
声、見たもの、温度や湿度の余韻が重なり、この日の体験までが私にとっては一つの記憶になる。少し残している作業を一旦手を止めて、母の命日まで数日お休みをした。