3月9日

「からだ」をテーマに行分けせずに詩を書いてみると、空白という物体に頼らず、滞りが少し流れていくような文体が実現したと思う。二カ所だけ、地殻がずれたように行分けをした。回想したような前半のあとに、「ぼく」の目線の詩を折り返そうと少しつづけてみたけれど、熟しきらずにそこは切り取って、ある日の自分の目線の一コマを置いて切り上げた。落雷の音をどう書くか考えて、擬音を造語して声喩するのもいいが、がらんどうの「伽藍」の音と意味合いと風情を気に入って採用した。提出期限の日付を10分またいで、なんとか提出。タイトルを「ライ」とした。
ぼく目線で書いた部分は、今後あたためたい。書こうというきもちでいるときに、井戸川射子さんの『する、されるユートピア』を読み返していたら、前よりずっと深く、沁みるように読めて、透明感と澱のようなものとに感じ入った。気づかされることがとてもあって、「ぼく」を主語として私が書こうとしていることに通じる面、もっとずっと隅の方への視線をよせていることへの、敬意の気持ちが湧く。その詩のぼくの目に、ぼく=甥の姿もうつっているような気がしてならず、重なるところがあるのなら嬉しいことかもしれないと思う。
今日、日記をどう書くか書く前に躊躇して、こちらも日付を跨いでしまった。これまでの日記を読み返してみる。書き始めた初期の先月、「日記は滞りなく自然に流れるように書くことができて、リラックスルームみたいな感じ」のようなことが書かれていた。
その感じを、おぼえておきたいなと思う。

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